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やばい宗教の特徴と、信者数が多くて学問の対象にもなる宗教との違い

キリスト教 社会
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やばくない宗教は存在するのか

あなたは何らかの宗教に勧誘されたことがありますか。

私はあります。はっきり言って、やばそうな宗教でしたし、やばくない宗教だとしても信者になるつもりはないので逃げるように断りました。

春は信者が新しい学生を勧誘するためか、大学近辺に怪しい人を見かける。

ここで多くの人が思うのは「やばい宗教と、やばくない宗教の違いって何?」ということでしょう。

今回はこのあたりをわかりやすく探っていきます。

このページの最後にやばい宗教の特徴をまとめたよ。

キリスト教について簡単に解説

まず、やばいか・やばくないかは置いといて、現代で世界最大の宗教といえばキリスト教です。

キリスト教の信者数は20億人以上にものぼり、その教典である聖書は人類史上もっとも多く発行された書物として知られています。

聖書の累計発行部数は100億冊以上とかいわれている。無料で配った地域や時代もあったからものすごい発行部数だ。

そもそもキリスト教とは、2000年以上も前に生まれたイエスという方とその教えを信じる宗教です。

その教えとは、救世主(キリスト)、隣人愛など。

当時、イエスが生まれたパレスチナ(ベツレヘム)にはユダヤ教という強力な一神教があったのですが、イエスはこれに違和感をもっていました。

そこでイエスはユダヤ教の影響を受けながらも、イエス流の教えを広めていました。

しかし、それをよく思っていなかったユダヤ教徒によってイエスは十字架へ磔(処刑)にされてしまいました。

そしてイエスの死後、イエスの弟子たちがイエスの教えを各地に広めました。これがキリスト教です。

キリスト教は2000年以上もの歴史があるだけあって、西欧の音楽・美術・演劇、西欧が起源の資本主義、キリスト教徒の寄付文化などにはキリスト教の影響が見てとれます。

あのキリスト教でさえもやばい時期があった

ここまでの記述は教科書にも書かれている基本的な内容ですが、ここからは筆者の考え方がやや強まります。

まず、どんな宗教も成立して間もない時期は、信者以外の多くの人間からは怪しく見られるのが普通です。

とくにそれまで権威をもっていた宗教に反抗した場合は顕著。

約2000年前のユダヤ教徒はイエスの行動・思想は怪しいと見なしたからこそイエスを迫害したのでしょう。その時点ではイエスの教え(=キリスト教)はやばい教えにすぎませんでした。

そしてイエスの死後もキリスト教は迫害され続けてきました。

しかし、そういった迫害から長い年月にわたって広く生き残ると、キリスト教はやばい教えという枠から抜け出て、公的な文化や学問の対象として認められる宗教になりました。

いつしかキリスト教は絶大な権威をもち、

  • 「なぜ世界中に広まった」
  • 「なぜ日本では大きく広まらなかった」
  • 「分派の違いは何だ」
  • 「宗教戦争の原因は何だったんだ」
  • 「芸術にまで大きな影響を及ぼす宗教とは何なのか」
  • 「資本主義との関連は何なのだろう」

という疑問をもたれます。

このように信者数と信者の分布地域が大きくなると、宗教は大学で学問として研究するに値する対象として認められます。

少人数の身内だけで宗教をやっていると怪しいですが、社会的に広く認められると怪しさが取り払われるというわけです。

社会では、よい教えほど世間に広まっていき、悪い教えほど世間に広まらないはずなのです(例外あり)。

とくに教育や情報の水準が昔よりも高まっている現代ではその傾向があります。

キリスト教は普遍主義なところがある。要するに、キリスト教は世界中で通用するっていう思い込みがあること。だから、中世の極東(日本)にもわざわざ宣教師が来た。
極東って西欧や中東から見て遠い東に位置することでしょ。キリスト教の中心主義を感じる。
キリスト教は科学との関連も興味深いね。科学は普遍的に通用する法則で、キリスト教は普遍的に通用すると思い込む思想ってことだから通じるものがある。
キリスト教が学問の対象になるのもわかる気がする。
この点、日本の神道はキリスト教や仏教のような特定の開祖がいないし、起源もよくわからない。でも、未だに残っているんだから、それはそれで研究対象として面白いかも。

大学で認められるか否かで「やばい度」がわかる

現代の日本の大学では神学部(キリスト教神学を研究する学部)や仏教学部、神道学部があるようにキリスト教と仏教と神道は公的に認められている感が強いです。

世界的にはイスラム教徒も多いですが、日本では教徒と需要が少ないので学部としては成立していません。しかし、イスラム教も立派な研究対象でしょう。

ここで「そういった主要な宗教以外の大学はどうなの」という声が聞こえてきそうです。

結論から申し上げますと大学の設置母体がマイナーな宗教団体であっても、その設置学部が、法、経済、文、理工など普通の学問ばかりだとすれば認可される可能性は高いです。

ここでいう普通の学問とは、普遍性があって体系化された学びのこと。

一方で、日本社会には政府から認可されない宗教系の学校があることも事実です。

文科省に大学として申請したのに認可されないと、残念ながら私塾として扱われます。

日本の私立大学は公金からの支出として私学助成金を受け取っていますので、科学的な根拠に乏しい私的な教えを学ばせるだけの学校は大学として認可されないのです。

たとえば「ワシの前世は幕末の天皇だった」と主張したとする。こんなこといっても肯定派も否定派も証明できないし、そんな私的なところは研究するにも値しない。こういう学問だらけの学校は大学として認可されにくい。

後世や第三者からも評価されてこそ権威を帯びる

それから偶像崇拝の内容を見ても、やばい度がわかる場合もあります。

偶像崇拝とは、彫刻や絵などその宗教に関して実際に見てとれるものを崇拝すること。キリスト教やイスラム教では厳しく否定されます。

ただし、仏教は偶像崇拝っぽいところがあるように、偶像崇拝を肯定するか否かはやばい度に関係ありません。

仏教を信仰していない外国人も奈良の東大寺の大仏を見ると、すごい感動をおぼえるらしいね。

ここで注目すべきは偶像の設置タイミングです。

たとえば、江戸時代の思想家だった二宮金次郎について「あの人はすごかった」と語り継ぎたい人は彼の死後に銅像をつくります。

二宮金次郎についてあまり知らない後世の人でも各地の学校に彼の銅像があると「すごい人だったんだな」と思うのが自然です。

こうして信仰や過去の偉人は権威を帯びるわけです。

ここでいう権威とは、非信者をもひれ伏せさせるだけの力があるってこと。

でも、大した実績や歴史がなく、また教祖が存命中なのに教祖の偶像が多かったら、教祖が無理やりつくった感(教祖が神を演じている感)が強まります。

これはどう考えても怪しいのです。

つまり、宗教は後世や第三者からも評価されないと怪しいのです。

ちなみに社会主義は「神を信じない宗教」と呼ばれるよ。
じゃあ、何を信じるの?
一言でいうと、理性。開祖はマルクスかな。たとえば社会主義者は「政府が経済を理屈っぽく統制すれば、経済はうまくいく」と考える。この社会主義は一時期すごいブームになったのだけれど、あちこちの国で大失敗したから説得力に欠ける。
社会主義者は理性という教義とマルクスという開祖を信じるわけか。その構造はイスラム教徒がアッラーという唯一神と、ムハンマドという開祖・預言者を信じていることと似たようものか。

最近だと「iPhone信者」という言葉があるように、人間の信仰の対象は神とは限らない。

Appleファンのなかでは故スティーブ・ジョブズ氏が神なのかも。

宗教施設は街・社会と調和しているか

また宗教施設から、やばい度がわかる場合もあります。

あなたは今までに「なんじゃこの宗教施設は!」と驚いたことはありませんか。

ここで具体的な写真は挙げにくいのですが、私はあります。そういう施設はほぼ新興宗教がつくったものです。

こういった施設の多くはデザインがやたら奇抜だったり、教祖が目立ちたがっているため、街並みと調和していません。

また、怪しいだけの宗教施設は信者からは人気でも非信者からは不気味に見られるだけです。

一方、バチカン市国(カトリック総本山)や京都市(仏教系と神道系)の伝統ある宗教施設には観光地として大きな魅力があります。

そういう施設は人々や街の発展とともに長い年月を歩んできましたから、街とある程度、調和しているのです。

というか、もし悪目立ちしているだけだったら長い年月の間に焼き討ちにあっているでしょう。

長く残っている宗教施設にはそれだけ権威があるのです。

日本の伝統的な寺社は山の近くにある場合が多いけど、キリスト教の教会は街の中心にあり、そのすぐ近くには時計台や広場がある。キリスト教はそれだけ欧米人の生活に密着してきたということ。

犯罪のにおいがする宗教

最後は犯罪のにおいがする宗教です。

この場合の犯罪とは宗教上の罪(=sin)ではなく、政府が定めた法律上の罪(=crime)です。

そもそも宗教上の行為には公権力は関与しないのが原則ですが、法律上の罪については公権力は強制的に介入します。

公権力が強制的に介入する宗教がやばいのはわかりやすいでしょう。

宗教関連の犯罪としては過剰なレベルでの加持祈祷や霊感商法が有名。

このうち加持祈祷とは、災いや病気から回復するために強く祈ることを意味します。

一時的に祈るだけだったら問題ありませんが、医師免許をもっていないのに病人・ケガ人に宗教的で妙な医療行為を施したり、病院に連れていくべき人をほったらかしにすると法律問題になるのです。

また霊感商法とは、人間の悩みと霊をむすび付けて不安を強く煽る商法を意味します。

これは原価の割に法外な料金を請求されたら怪しいと思うべきです。

加持祈祷も霊感商法もどこをもって犯罪レベルと見なされるかは難しいところですが、常識的に行動していれば大丈夫でしょう。

古今東西、キリスト教は人々の大きな支えになったが、それが原因(直接も間接も)で亡くなった人はおそらく1億人はいる。とくに中近世の宗教戦争はひどかった。だから、日本のマイナー宗教の方々も平和度ではキリスト教に負けていないと主張することができる。

まとめ:やばい宗教にありがちな特徴
  • 信者数が少ない
  • 信者がどこかの地域だけに偏っている
  • 大学から学問として認められていない
  • 一代で終わる(歴史がない)
  • 教祖が存命中なのに偶像や肖像画が多い
  • 非信者から見て宗教施設に観光的な魅力がない
  • 犯罪のにおいがする
逆にそういう特徴にあてはまらなければ、まともな宗教である可能性は高いわけか。なんやかんやで宗教って社会性(独りよがりじゃないこと)が大事だね。
かつてキリスト教はやばそうな教えでしかなかったが、長い年月を経てみんなから認められた。だから、日本のやばそうな宗教もいずれは公的に認められる日がくるかも。
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