- 政府による強力な銃規制および軍事力の独占
- 憲法9条?
- 正常な選挙と文民統制
- 抑止力としての核兵器
- 戦争の芽をさっさとつぶす
- 危ない国とは距離を置くべきか
- 政教一致⇒政教分離、神権政治⇒民主政治
- 話し合い
- さっさと降伏すれば終戦だが…
- 確たる国境を設けて相互不可侵にする
- 特定の土地を消し去る
- 食べ物や娯楽を充実させて楽しむ
- サッカーやチェスで決着をつける
- 教育を充実させる
- 多神教を教えて信じ込ませる
- むしろ宗教教育をしない
- 人口を減らせば争いも犠牲者も減る
- 水の安定供給で現地民を自立させる
- 街をキレイにする(割れ窓理論)
- 非戦論を念頭に置いた人工知能に政治的意思決定を任せる
- 独裁者に悪夢を見させる
- 戦争の悪夢を語り継いだり実写を見せる
- ニセの動画や人間によって混乱させる
- 犬に治療してもらう
↑政策系の戦争抑止策、↓国際関係系の戦争抑止策
- 国際連合のような国際的な組織を充実させる
- NATOのような集団防衛機構を設ける
- 国際的な取り決めをやぶったら制裁
- 国際刑事裁判所が特定人の罪を追及する
- 個人的な資産凍結
- 私企業による経済制裁
- 文化交流を行う
↓思想系の戦争抑止策
- ほとんどの国家は加害も被害も経験していると自覚する
- 当事国以外は煽らない
- 一方的すぎる形で始まった戦争は批判する
- 憎しみを忘れる
- 戦争の遂行主体は成人男性が多いから女性や子どもの価値観をもっと広める
- メディアや情報に中立性や多様性をもたせる
- 理想を高くしすぎない
- 統一的な慰霊祭を行う
- 時効にする
上記箇条書きについて赤太字は戦争抑止効果が高いと思うもの。効果が高い策は実現の難易度もかなり高いですけどね。
Googleで「戦争をなくすには」と検索すると、キレイゴトに沿ったページばかりが上位に表示されます。
しかし、この記事ではキレイゴトではない戦争をなくす方法も挙げてみます。
キレイゴトも大事ですが、キレイゴトではないことにも目を向けることも大事です。
なお「戦争をなくすには」の文理的な解釈は「戦争を根絶する・ゼロにする」となりますが、いじめは決してゼロにならないように、おそらく戦争の完全なる根絶も不可能です。
したがって、戦争が起きたとしても早期にやめさせたり、被害を縮小化するという方向性も重要になってきます。
※この記事で挙げた方法について私はすべて十分な戦争抑止力があると思っていません。正直言って非現実的な策や個人的には反対する策もあります。あくまで戦争抑止策として考えられる方法をすべて挙げてみただけ。国や時代によっても実効性は異なるでしょう。賛否両論があることは百も承知です。
戦争をなくすには?【やめさせる方法】
まずは政策系の戦争抑止策について。
日本のような強い銃規制:政府軍だけは強くする
現代の中東やアフリカで独裁化している国を見るとわかるように、民間人(非政府系の人)が銃をもっていると「独裁政権の軍隊VS武装した反政府系の民間勢力」みたいな内戦が生まれやすいです。
武器は製造を法律で禁止したとしても、闇での製造や密輸がありうるのが難点です。
そのため、日本のように政府系組織(自衛隊)だけに強力な武装を許すのが武力規制の基本的な形となります。
政府軍は民間人より圧倒的に強くないと、武装蜂起した民間人によって秩序を乱されたり体制を強引に覆されてしまいますから、政府軍のほうが強くあるべきなのです。これはマックス・ウェーバーという学者が論じた有名な独占論。
政府軍を外国への侵略装置として使っている戦争当事国もありますが、政府軍は人々に法を守らせる装置でもあるといえます。
したがって「政府軍を廃止すれば戦争はなくなる」という言説はかなり疑わしく、「政府軍を廃止したら民間人が武装蜂起したり外国から侵略されるなど秩序が乱れる」と考えるべきでしょう。
共産主義者は「政府軍を廃止すれば戦争はなくなる」と考えている節がありますが、共産国では今までに1億人以上もの人が政権に虐殺されているように現実の共産主義はかなり悲惨ですからね(共産主義は理論だけは美しいが…)。
ちなみにスイスは国民の銃所有率がかなり高い割には治安がまあまあ高くて有名です。
まあアメリカのように銃が民間に普及しすぎると、今さら強い銃規制はかなり難しいですけどね。
現在の世界各国には政府軍もしくは軍隊並みの武装警察がいます。
しかし、国際組織にはそこまでの強制力をもった軍事力がありません。
国際組織は各国の自主性を重んじるのが第一であって、軍事力でもって深く介入しにくいからです。
昔のアメリカは「世界の警察」と呼ばれていたように国際的な軍事・平和について相対的に大きな地位にありましたが、その役割は薄れています。
憲法九条に実効性はあるか
日本の憲法九条は武力の不保持を規定していますが、周知のように日本には自衛隊があります。
これは法治国家にしてはとてつもなく大きな矛盾です。
その意味では今までに日本国憲法九条が守られたことはありません。
したがって、もし「憲法九条には戦争抑止の実効性がある」と主張したいのなら、その実効性は自衛隊のような武力を全廃しないとわかりません。
戦後の日本は警察予備隊⇒保安隊⇒自衛隊を保有してきたうえに、アメリカ軍にいてもらってきましたから「憲法九条だけでも戦争抑止の実効性がある」とは主張しにくいです。
正常な選挙と文民統制でクーデター防止
文民統制とは、軍事力の指揮は民主的な選挙で選ばれた人、すなわち国民の正当な代表者が担うことを意味します。
軍隊が軍隊の意志だけで好き勝手に動くと政権が軍隊の武力によって無理矢理倒されてしまい無秩序になってしまいますから、軍事力の指揮は文民でなければならないのです。
戦争を仕掛ける国は選挙が正常に実施されていない場合が多いとみられます。
抑止力としての核兵器
一般に核兵器をもっている国は他国から攻撃されにくいといわれています。
もしその国を攻撃すると核兵器で反撃されうるからです。
しかし、もし北朝鮮みたいな独裁的な核保有国が自暴自棄の核攻撃に出たら、とんでもないことに発展しうるという大きな欠点もあります。
戦争の芽をさっさとつぶす
一般にテロは突発的ですが、戦争には前兆・準備が見られることがよくあります。
そのため、危険な前兆が現れたら戦争として肥大化する前にさっさとつぶしておくのも一つの手ででしょう。
国家の治安維持としてもスパイの暗躍を取り締まるのは一定の効果があります。
危ない国とは距離を置くべきか
三大宗教の聖地エルサレム近辺では今日も紛争が起きています。
日本は日本だけの平和を保ちたいのなら中東情勢には積極的に関わらず、中立・静観を保つのが正解かもしれません。
真の国際平和とやらをめざすのなら積極的に関わるべきかもしれませんが、それはいろいろ難しすぎます。
欧米はユダヤ金融やユダヤ系移民、宗教との関係、さらに第一次世界大戦~第二次世界大戦でユダヤ人を迫害したり三枚舌外交を展開した罪をつぐなうためにも中東に関わるべきだとは思いますが。
政教一致⇒政教分離
政教一致とは宗教と政治が一体化していること。政教分離はその逆で宗教と政治が分離していること。
政教一致だと特定の宗教・宗派にばかり根ざした政治や宗教原理主義的な政治になるなど、特定宗教・宗派以外の思想が弾圧されやすいです。
キリスト教やイスラム教の中でもさまざまな宗派があり、それは仲が悪い場合もよくあり、かつてキリスト教の中では大規模な宗教戦争に陥りました。
そこで宗教戦争後の西欧では政教分離を定め、日本も政教分離を導入しました。
現代で戦争が起きている国は独裁政治・政教一致に陥りがちですから、政教分離をすすめるべきなのですが、これは政教一致国とってかなり難しいでしょう。
話し合いで解決できる?
人間は一定の理性をもっていますから、当事国のトップ同士が会談して停戦・休戦・終戦にもっていくという手もあります。
話し合いで解決するのは難しいとしても、経済的コストがあまりかからないのがいいところ。
早く合意すればいいんですけどね。
さっさと降伏すれば終戦だが…
どちらかがさっさと降伏すれば戦争は終わるでしょう。
しかし、それだと負けた側は悪い条件を飲まなければならないですし、プライドが許さないでしょうし、勝った側は調子に乗るでしょう。
すみ分けの重要性:確たる国境を設けて相互不可侵にする
たとえば日本のプロ野球応援では巨人ファンエリアに阪神ファンが入るとケンカになりやすいです。
そのため、巨人ファンと阪神ファンは球場では別々のエリアに座らなければなりません。
これは戦争防止についても言えます。
すなわち仲が悪い民族とはたがいに干渉せず強固な国境を設けて、すみ分けたほうが争いは起きにくいという考え方です。
外国に入るときにさまざまな手続きがあるのは、外国人は犯罪に手を染めやすいなど警戒されやすい存在だからです。
この考え方に沿うと、多文化共生は無理があるといえるのかもしれません。
国境は戦争のみならず感染症の拡散防止策としても有効でしょう。
ちなみにアメリカとメキシコの国境は、共和党政権のときだと強固になって、民主党政権のときだと緩やかになる傾向があります。
幸か不幸か、北米と南米の間にはダリエン地峡(ダリエン・ギャップ)という陸上交通で通り抜けにくいエリアが、スペインとモロッコの間にはジブラルタル海峡という橋やトンネルをかけにくいエリアがあります。
以上のエリアは横暴な人間や薬の往来の危険性に加えて、自然科学的にもつなぎにくい要因があります。世界の国々は適度に壁があるほうが平和なのかも。
国際交流を閉ざしすぎるのは無理があるっぽい
江戸時代の日本が平和だったのは、対外的な交流はオランダや中国に制限し、その交易場所も制限していたからだという説があります。
したがって、各国が国際交流を強度に制限すれば戦争は起きにくいのかもしれません。
しかし、現代では観光産業が発達していますし、日本の場合は原油、天然ガス、穀物といった重要資源について海外からの輸入に頼っています。
そういう国際事情を考えると国際交流を閉ざして平和を実現するのは、どの国でもかなり無理があるかも。
差別が起きにくい環境のほうが重要?
たとえばアメリカでアジア系男性は見た目の時点で差別されがち。こういった差別意識は戦争につながることもあります。
もちろん差別はよくないのですが、差別自体が生まれにくい環境をつくることのほうがもっと重要かもしれません。
すなわち、たとえば日本に移民・難民を大量に入れまくって「彼らを差別するな!」と主張するよりも、移民・難民をあまり入れない環境のほうが差別は生まれにくいということ。
特定の土地を消し去れば争いはなくなる?
世界には特定の島や宗教施設をめぐって争っている地域があります。
それならば、その土地を爆破するなどしてこの世から消し去れば争いはなくなるという考え方があります。
この解決方法は過激であるため、いろいろと禍根が残りそうですけどね。
娯楽を楽しんでストレスを発散しようぜ
イスラム教圏は特定物の飲食や娯楽の類が宗教的にかなり抑えられています。
イスラム教徒は日常的にストレスを強くため込んでいますから、イライラを対立勢力にぶつけるのかもしれません。
それならば、日本のように食べ物や娯楽を充実させれば人々のイライラは解消されるかも。
せっかく、この世の中にはアニメ、ゲーム、異性、遊園地、スポーツ、ギャンブル、ネット動画、音楽といった面白いものがたくさんあるのに、武器ばかり積極的に買って娯楽を楽しまないのはもったいないです。
まあイスラム原理主義者はちょっとした音楽でさえも弾圧の対象にしますが、イスラム教本来の教義からすると音楽は禁止されているのか疑問です。
サッカーやチェスで決着をつけまっしょい
これは、とくに非現実的でしょうが、戦争になるような揉め事はサッカーやチェスのような人が死なない勝負事で決着をつけてほしいという想いもあります。
サッカーの代表戦でオウンゴールをしたコロンビア選手が●されたとか、サッカー戦争はありましたが、要点は人が死なない勝負事によって争いの決着をつけるべきだということ。
なんなら勝利の効果期限は30年とかにして、30年経ったら再戦するのもいいでしょう。
サッカーは1点の重みが大きすぎますし、PKか否かの判定の重みもかなり大きいです。サッカーは主審の命が危ういのです。
フィギュアスケートのような採点競技は採点で必ずと言っていいほどもめます。
この点、テニスや卓球のようなラリースポーツについてラインのインアウト判定は人工知能に任せれば公平性や安全性は高いでしょう。
教育を充実させる
一般に戦争は偏った思想から生まれがち。
そのため、国民の思想を偏らないよう中立的に教育することも重要です。
むしろ宗教教育しない
逆に宗教教育しないということも重要かもしれません。
イスラム圏の戦争やテロは人々が宗教熱心だからこそ起きている面があるので、子どもにはなるべく宗教熱心にならないよう宗教教育をさせないのです。
たとえばユダヤ教の聖典には「異教徒に対しては攻撃的になるべき」というような記述があります。
ちなみに欧米ではとくに若年層が宗教離れの傾向にあります。
若者は休日は教会に行くより、個人的な娯楽に費やすほうが楽しいという考え方の表れかもしれません。
多神教を教える
一神教の信者の中には「私の信じる神こそ唯一絶対であって、それ以外の神を信じる人は敵だ」みたいに考える人がいます。
そのため一神教を多神教に変えるような教育が必要かもしれません。
人口を減らせば争いも犠牲者も減る
戦争の一つの原因として地球上の希少な土地や資源を取り合うことがあります。
それならば中国の一人っ子政策のような形で人口を減らしたほうが、もめごとの類は減るでしょう。
たとえば地球の総人口が80億と10億とでは、10億のほうが人類の幸せの持続時間は長いでしょう。
今のままの人口動態では将来、希少な穀物や淡水をめぐって大きな戦争が起きてもおかしくありません。
供給の割に需要が多いほど価格は上がりますから、石油や穀物の価格は将来的にもっともっと上がって暮らしにくくなります(車や火力発電のコストも上がる)。
そのときに安い昆虫を食べたがる日本人はかなり少ないでしょう。
ちなみに、日本の学校では人口あたりのいじめ発生率は1つの学級の構成人数が多いほど高いといわれています。
田舎のような過疎学級のほうが人口あたりのいじめ発生率は低いのかもしれません。
※↓こういう人口が多いところで秩序を保つのは難しいかも(さらにインドの人口は増えそう)。
Mumbai train entrance during rush hour 😲
Oh my God, That's incredible!!! 😲😲😲Credit: Newsflare pic.twitter.com/nTYxXopcnG
— Best Moment (@BestMoment_Vids) October 27, 2023
中村哲医師の意思:水の安定供給:普通の日本人も間接的に貢献
私が尊敬する故人に中村哲さんがいます。
彼は以下のように考えてアフガニスタンの復興に尽くしました。
- 水が少ない地帯に用水路を引いてくる
- 水が分散して洪水が減る(大きな川だけに水を集中させない)
- 衛生的な水が飲める
- 農作物がとれる
- 家畜を飼える
- 栄養失調などで死ぬ率が下がる
- 農業や灌漑事業を通じて現地民に結束力が生まれる
- 労働力が増える
- まっとうな雇用や食べ物が増えれば、テロ、麻薬、ゲリラ、人身売買といった非合法分野に手を染める人が減る≒紛争が減る
- 人々は明日へ希望がもてる(農作物の緑は和みの色でもある)
以上はお金を適当に与える事業ではなく、現地の人々が自立するための総合事業です。
このような復興計画では最初に用水路を建設する必要があります。
用水路を効率的に建設するには重機が必要ですから、日本人としては日本の重機メーカーにお金を寄付する代わりに彼らに途上国に重機を贈るように働きかけるのです。
ただし、現地の人々がいきなり高価な重機だけを与えられると、売却・逃亡する可能性もあるので指導・監督する人材も必要でしょう。
中村哲さんは重機を使いましたが、重機にばかり頼らず、現地民が自分たちの力でつくりあげることも重視していました。
街をキレイにする(割れ窓理論)
たとえば、あなたはガラスが割れまくっている廃墟のような建物を見たら「不気味でイヤな感じ」と思うでしょう。
実際、割れ窓理論といって一か所窓が割れていると、割られる窓ガラスが増えていく傾向があるのです。
廃墟がいくつもあるような地域では地価も下がり治安も悪くなる傾向があります。
そして極端な話、国土全域にわたって廃墟と化したような建物ばかりだったら、いつ戦争に入ってもおかしくない状態なのかもしれません。
人工知能に意思決定を任せて従う
政治的な意思決定は、非戦論を念頭に置いた人工知能にすべて任せて従えば理論上は戦争は発生しません。
しかし、人工知能の合理的な意思決定に国民は納得して従えるのかという問題があります。
さらに人工知能は機械学習やバグによって暴走する可能性もあります。
このとき人工知能と武力操作の回路がつながっていたら、人工知能が人類を攻撃してくるかもしれません。
漫画『火の鳥未来編』映画『ターミネーターシリーズ』アニメ映画『ドラえもん のび太とブリキの迷宮』では人工知能やロボットが暴走して人類を追い詰めてきましたからね。
我々の民主主義社会は「政治家や法律は有権者が多数決で決めたことだから従う必要がある」というような原理にもとづいています(多数決でも許されないことを規定しているのは憲法)。
だからこそ人工知能に政治的権限を与えるのは無理がありますが、将来的には分野によっては人工知能を参考にすることもありそうです。
悪夢を見ると改心できるか
悪名高い為政者アドルフ・ヒトラーはドイツの敗戦が濃厚になると精神に支障をきたし、自●したとされます。
ほかの国や時代でも精神に支障をきたした戦争指揮官や独裁者は多くいたといわれています。
つまり、独裁者は悪夢を見るようなのです。
人間が見る夢は少しの科学的コントロールが可能だといわれますから、もし独裁者に悪夢を見させれば早期に改心させることも可能なのかもしれません。
悪夢を見たことで自暴自棄になって核ミサイルの発射ボタンを押さなければいいのですが…。
※『ドラえもん』でのび太はどくさいスイッチを押してから独裁におよび、周りの人間を消しまくりますが、最終的に大きな孤独を感じて反省しました。
※有名な小説である『クリスマスキャロル』でも、嫌われ者のスクルージは悪夢を見たことで改心しました。
戦争の悪夢を語り継いだり実写を見せる
独裁者に対してだけでなく、普通の人々同士が戦争の記憶を語り継ぐことも効果があるかもしれません。
とくに実際の画像や映像が残っている分野として原爆投下、東京大空襲、ベトナム戦争の枯葉剤による奇形児、ポソ宗教戦争などを見ると戦争が怖くなるはず。
ただし、これらは漫画『幽遊白書』の「黒の章(人類の悪いところだけを記録した動画)」に近いものがあり、正常な人が見るとおかしくなる可能性があります。
とくにポソ宗教戦争のひどさはマジで半端ないので検索する際はお気をつけください。私は責任をとれません。
精巧なニセ動画で混乱させる
独裁者はその独裁国内ではきわめて強い権力をもっているものです。
そこで、だれかが精巧なニセ動画をつくり、それを国民に見せることで独裁体制を崩壊させるという方法があります。
かつてトランプ大統領のニセ動画が出回ったことがあるように、先進国の人間ならニセ動画を見抜いてしまう確率が高いでしょうが、途上国の人ならだませる可能性があります。
しかしながら、精巧なニセ動画は違法性を帯びてきますし、もし独裁者が退いたとしてもまた別の独裁者が出てきそうなところが難点ですね。
犬に精神を治療してもらう
欧米の刑務所では囚人に犬の世話を任せると、その囚人は性格が優しくなり、責任感や忍耐力がつくことがわかっています(さすがに全員ではない)。
日本の病院や高齢者福祉施設でも犬の優しさは役立てられているんですよ。
そこで戦争を企てる人に犬を育てさせれば、性格は優しくなるのかもしれません。
でも、日本の秋田県はプーチン大統領に秋田犬をプレゼントし、プーチン大統領はその犬をかわいがっていたようですが、ウクライナ戦争を始めてしまったように大きな反例ができてしまったのは残念。
戦争をなくすには?【やめさせる方法】【国際関係編】
次は抑止策の国際関係編について。
国際連合のような国際的な組織を充実させる
現代で戦争といえば基本的には国VS国であることが多いです。まあ内戦もそれなりにありますけど。
そこで国際連合のような国際組織の充実に期待する声もあります。
NATOのような集団防衛機構を設ける
国際連合は第二次世界大戦の戦勝国を中心につくられた組織であり、中国、ロシア、北朝鮮といった共産系の流れをくむ国家が邪魔になっていることがよく指摘されています。
そこで持ち上がるのがNATOのような欧米中心の集団防衛機構です。
これは実効性があると思いますが、ロシアのプーチン大統領はNATO拡大に反発して強硬体制をとっているところがあります。
国際的な取り決めをやぶったら制裁
国際的な取り決めをやぶった国に対しては制裁を行うのもよくあります。
これは経済制裁(輸出入停止、資産凍結)が代表格。
現代ではネットを通じた評価も共有されやすいので、悪い国には悪い評判をもたせるべきなのかも。
国際刑事裁判所が特定人の戦争犯罪を追及する
ウクライナ戦争に関して国際刑事裁判所裁判官の赤根智子さんはロシアのプーチン大統領に対して逮捕状を出しました。
ウクライナ戦争中においてロシア国内の機関がプーチン大統領を裁くのは無理がありますから、国際組織が積極的なアクションを示すことには意義があります。
日本政府や国際組織は赤根智子さんをロシアの報復から守るべきでしょう。
私企業による経済制裁
ウクライナ戦争においてはロシアから有名な外資系企業が次々と撤退しました。
これによってロシア経済がダメージを受ければ受けるほど国民のプーチン政権への不満は大きくなりますから少しは効果があるでしょう。
政権幹部のダメージは小さそうですけどね。
文化交流を行う
経済制裁を行うと、制裁された側は反発するでしょう。
これは1930年代のブロック経済圏でも見られました。
この点、音楽、美術、スポーツ、漫画・アニメといった文化の輸出入(国際交流)ならブロック経済圏のような摩擦は起きにくいでしょう。
戦争をなくすには?【やめさせる方法】【思想編】
次は抑止策の思想編について。
ほとんどの国家は加害も被害も経験していると自覚する
日本は太平洋戦争で大きな被害を受けました。
しかし、日本は真珠湾攻撃も行いました。
一般市民も巻き添えにするか、軍人や軍事施設ばかりを狙うかでも違いますが、日本はそれ以前の戦争も含めて被害と加害の両方の当事者となったことは確かです。
ほかの国もたいていは被害と加害の両方に関わりました。
基本的に人間は過去の被害記憶ばかりを覚えている一方で、加害記憶を覚えていたがりませんが、恨みに駆られて戦争を起こそうとしている人は、加害の記憶も思い出せば、少しは謙虚になれるのかもしれません。
憎しみを忘れる
たとえば現代の日本人でアメリカ(太平洋戦争の相手)を本気で恨んでいる人は少ないでしょう。
原爆を投下されたときの当事者世代はアメリカを本気で恨んでいたかもしれませんが、現代の日本人はアメリカをあまり強く恨んでいないのです。
現代のユダヤ人やパレスチナ人などは昔のことをかなり引きずっているようですが、日本人のように恨みを忘れるのも大切かもしれません。
当事国以外は煽らない
戦争や戦争の前兆っぽいのが起きると、当事国以外の国民の中には「○○国は▲▲国をもっと攻撃しろ」みたいな感じで煽る人がいます。
こういうのは闘争心に火をつけたり、武器購入のためのお金が集まることにもつながるので煽り系のコメントは避けるべきでしょう。
戦争をやらかすような途上国にお金を寄付したところで大半は武器購入にあてられるか政権幹部が搾取するだけ。
一方的すぎる形で始まった戦争は批判する
たとえばパレスチナ紛争は「どっちもどっち」といえる部分が結構あります。
しかし、ウクライナ戦争はどう考えてもロシアによる一方的な攻撃によって始まりました。
前者のような戦争は当事国以外としてはなかなかコメントしづらいですが、後者のような一方的な戦争は批判すべきでしょう。
戦争の遂行主体は成人男性が多いから女性や子どもの価値観をもっと広める
一般に政権や軍隊の幹部は日本でも海外でも男性が多いです。
カエサル、チンギスカン、ナポレオン、ヒトラー、フセイン、プーチンなど戦争を起こした首謀者は基本的にそれなりに歳をとっている男性です(兵士および犠牲者は若者が多い)。
とくに現代で紛争が発生しているような途上国(パレスチナ、シリア、ミャンマーなど)では男尊女卑が大きいでしょう。
これに関して女性や子どもの権利と価値観がもっと広まった政治経済法律であれば、戦争の機運は下がるのかもしれません。
メディアや情報に中立性や多様性をもたせる
マスコミが扇動的な情報を流したために世論が開戦へと大きく動いた出来事もあります。朝日新聞はこれで有名。
そのため、明らかに戦争を煽りすぎている投稿は規制すべきでしょう。
表現の自由にも限度があるのです。
理想を高くしすぎない
この記事を見ているあなたは「社会はこうあるべき」という理想像をもっているはず。
私もちょっとした理想像はもっていますが、あなたの理想像とはズレている部分もあるでしょう。
ここで多くの人は「理想って人それぞれだよね」と考えるはずです。
したがって、社会(政治、経済、法律)はみんなの理想にとってバランスのよい状態をめざすといえます。
しかし、理想が強すぎる人は「オレの考えた理想像はだれにとっても素晴らしいから、オレが独裁者になってみんなにオレの理想を押し付けちゃうよ」と考えます。
実際、カンボジアのポル・ポトはこういう理想像を強くもって共産主義的な独裁におよび、約180万もの人々を虐殺しました。これは対外的な戦争ではなく内戦のような大粛清です。
人間が理想に向けて努力するのは美しくて素晴らしい行為に見えますが、「理想」が極端に先鋭化すると危ないということは知っておくべきでしょう。
慰霊祭を行ってみんなで反省する(できれば義務化)
毎年8月になると日本人は1945年の原爆投下と敗戦・終戦をあらためて見つめるものです。
このころの広島や長崎などでは平和祈念式が行われます。ドイツでもこの類の追悼式はありますし、インドではガンディー記念日があります。
そうやって定期的・公的・総員的に戦死者を見つめると、国民は恒久の平和を維持・実現する願いもわいてくるものです。
私のように戦争を直接的に経験していない世代としても、毎年このような式典がメディアで報道されると「日本の平和と海外紛争の対照性」を比較せずにはいられません。
現代の海外紛争で自分にとって近しい人が亡くなった人としては「愛する人が死んでしまった」で終わらせるのではなく、もっと統一的に死者を思い出す機会があってもいいでしょう。
ときにはアメリカの要人が日本の平和祈念式に参列することもあるように、各国は戦争への反省と将来の平和を想う式典を定期的に開催すべきなのかもしれません。
時効にする
かなり昔の戦争や奴隷制度をいつまでも追及して恨んでいる人がいますが、かなり昔の戦争や奴隷制度の責任を現代人に負わせるのは無理があります。
やはり、かなり昔の戦争だと被害者は亡くなり物証は風化するなど真実を解明できない点も多いですから。
神話を昔~今の根拠に恨みを肯定する人もいますが、神話はフィクションとノンフィクションが混ざっているため、全面的に肯定するのも無理があります。
以前、あるアフリカ諸国の政権幹部が「アフリカの惨状は昔の白人による奴隷貿易が悪い」と言っていましたが、奴隷貿易で現地の黒人を白人に売ったのは黒人であるように黒人は決して一枚岩の存在ではありません。
古代史は怪しい⇒現代人と連続的か
- 4世紀の日本は大空白時代それよりもっと昔の天皇たちが実在したかも疑わしい
- 古代ユダヤ人は紀元前1世紀にローマ帝国に滅ぼされてから世界中に離散した今のユダヤ人と昔のユダヤ人は連続的か?(ユダヤ人の定義は難しい)
- 古代ギリシャ人と今のギリシャ人は違うというのが通説
- 昔は、戦争に関する取り決め、各地の国境、主権、侵略の概念がはっきりしていなかった
各国の古代史は不明な点が多いです。さらに各国(とくに大陸諸国)の国境や民族は時代とともに変わってきましたし、古代人の文明水準で国境がどこまで正しく認識されていたかも不明です。
たとえば、あるYouTube動画でアメリカの白人はアラブ人に「アメリカで西洋人らしく振舞えないなら中東に帰れ!」と言い、そのアラブ人は「アメリカはネイティブアメリカンの土地だから白人こそヨーロッパへ帰れ」と返していました。
要するにかなり昔を根拠に現代の戦争や王家、そして恨みを肯定する人がいますが、そういうことを言うとキリがないので過剰に持ち出すのはやめようということ。