ヴィーガンとは絶対菜食主義者を意味します。
要するに、肉や魚の類はもちろん、卵や乳製品など動物由来の食べ物を一切口にせず、また毛皮や革製品なども使用しない人です。
これに関して私個人は肉も魚も野菜もバランスよく食べます。
このとき個人的に思うのは、人間の食料になる動物は人間が殺しているのですから(=動物に犠牲になっていただいている)「無駄な食べ残しはダメ」ということくらいです。
そんな私がヴィーガンについて気になるのは、ヴィーガンは矛盾しているため社会の多数派になることができていないという点です。
今回はこのあたりを探ってみます。
もちろん、バランスよく食べるタイプにも矛盾点はありますが、ヴィーガンに比べると矛盾の度合いはまだ小さいと思います。
ちなみにこのページのタイトルである「ヴィーガンはなぜ矛盾を解消しようとしないのか」について答えると「肉魚を食べない私ってかっこいいし、肉魚を食べる人間ほど罪深くない」という優越感があるからです。
ヴィーガンの一部が攻撃的なのも「ヴィーガンこそ人として絶対的に正しい生き方であるため、それに反する野蛮な人は駆逐されるべき」と考えているからです。反捕鯨派の一部が攻撃的なのも、それと似たようなもの。
あるいはヴィーガンは肉魚を食べることを強く控えているためにストレスがたまり、そのストレスを周りに撒き散らしている可能性も疑われます。
人は他者に対して強い優越感をもつと自分の矛盾が認識しにくくなるとともに攻撃性が高まってしまうのです。
※平和的なヴィーガンや反捕鯨派も多数いらっしゃいますので悪しからず。
ヴィーガンはなぜ矛盾しているのか:栄養学的な観点
まず栄養学的に見ると「ヴィーガンは動物性脂肪をとらないので健康」と主張するタイプと、「絶対的な菜食主義は栄養バランスが偏っていてむしろ健康に悪い」と主張するタイプがいます。
最先端の栄養学の見地からいうと、この論争の決着はついていないようです。
ただ、人間は若い時期(肉体をつくる時期)と高齢期では好む食品や必要とする栄養が異なりますので、年代によって栄養バランスを変えるべきかもしれません。
ヴィーガンが自分の食事について肉魚を拒むのはまったく自由ですが、他人(自分の子ども含めて)の食事に強く介入するのは問題があります。
やはり子どもは成長に必要な栄養素を取り入れる必要がありますから。
生き物にも心があるという主張
次にヴィーガンの思想面です。
ヴィーガンの主張でとくに違和感をもつのは「動物にも心がある」という主張です。
要するにヴィーガンは「動物は生きたいという意思をもっているのだから、人間は動物を殺すな(食べるな)」といいたいのでしょう。
これに関して私は個人的に犬が好きで、犬を飼っていた経験もありますから「犬にも心がある」と思ったことが何度もあります。
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犬は親しい人が来ると尻尾をふって喜びますし、敵っぽい動物を見つけると尻尾を立てて怒りますから、犬にも心があると思ってしまうのです。
同じように動物園を訪れると「動物にも心がある」と思うことはしばしばあります。ヴィーガンとまではいかなくても、こういう感じ方をする人は多いと思います。
野生動物は他の動物を殺しまくる
しかし、野生動物は自分が生きるために他の動物を平気で殺します。
野生動物は人間とは違って「毎日が食うか食われるかの極限状況にいるから動物を食べるのはOK」という説もあります。
しかし、野生のオスライオンは生きるために食べるのではなく新しい群れに入ったときに子殺し(他のオスライオンの子どもを殺す)におよびます。これは極限状況とはいえません。
もし動物に心があるのなら子殺しなんかしないでしょう。
子殺しや共食いにおよぶ動物はライオンに限らず結構います。その理由はいくつか説があって断定しにくいです。
ちなみに一般的には「頭がいい」と思われているイルカなんかも野生環境では人間を平気で襲います。「イルカは人懐こい」というイメージは水族館や動物番組、ラッセンの現代アートに刷り込まれた人工的なものにすぎません。
野生動物と人間に飼いならされた動物は違う
よくヴィーガンは家畜の屠殺場の悲惨さを批判しますが、それなら野生動物の子殺しはむごくないのでしょうか。
ヴィーガンは動物の権利を守りたいのなら野生動物の獰猛さや野生動物が罪に問われないことをまず批判すべきです。
要するに、ヴィーガンが主張する動物の温厚なイメージはペットや家畜、動物園の動物など人間が飼いならした末の人工的なイメージであって、野生動物はそんなに温厚ではないということです。
もし、野生動物が温厚だったら自然界では生き抜けずにすぐに絶滅してしまいます。
ヴィーガンは動物を殺すことに反対なのであれば、動物による動物殺しにも反対しなければ筋がとおりません。
しかし、現実のヴィーガンは動物による動物殺しは批判せず、肉魚を食べる人間ばかりを一方的に批判するため何とも中途半端な印象がぬぐえません。
人間の原罪と向き合おう
私は犬好きですが、途上国にいるような野犬はこわいと思います。YouTubeで途上国のスラムを平気で歩いている旅動画を見ると「野犬対策は大丈夫かな」と考えてしまいます。
途上国の野犬は致死率が100%ともいわれる狂犬病をもっている可能性が疑われるからです。
正直言ってそういう犬は駆除しなければならないでしょう。ここに人間が生き延びるためのエゴがあると言わざるを得ません。
ネズミにしても同じです。
某テーマパークではネズミキャラが信じられないほどの人気を誇っていますが、これも人工的なイメージの世界にすぎません。
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現実のネズミは住宅に侵入して食べ物を荒らしたり、伝染病を媒介する人間にとって好ましくない動物だからです。
普通、一般家庭や飲食店ではネズミを徹底的に駆除するものですが、ヴィーガンはネズミを駆除しなくても生きていけるのでしょうか。
現代人は生きているだけで間接的に動物を殺している
新薬の開発についても動物実験によって動物を大量に殺した末に新薬を得られるわけですが、ヴィーガンは薬の効能を一切欲しがらないのでしょうか。
いや、ヴィーガンの多くは自分が病気にかかれば薬の効能を欲するでしょう。化粧品だって動物実験を経て生まれた商品はかなりあります。
これは間接的に動物を殺しているようなものなので、ヴィーガンの信条とは矛盾しています。
農作物の生産にしたって害獣や害虫を駆除したところに成り立っています。無農薬で有名な合鴨農法なんて幼い鴨を毎年殺しているんですよ(翌年に使いまわせない)。
害獣・害虫を駆除せず、また農薬も使わない栽培方法では十分な量の農作物を生産できません。
ヴィーガンはそういった野菜すら食べないのでしょうか。
いや、ヴィーガンは肉魚を一切食べないのであれば、大量生産された植物性の食べ物をとるしかありません。
つまり、単に肉魚を食べないというだけでは現代人は原罪(=他の動植物を犠牲にしないと生きられない)から逃れられないのです。
ヴィーガンというだけでは環境負荷が軽いとは限らない
私としては欧米のセレブ型ヴィーガンにも矛盾を感じます。
彼らがヴィーガンになることの動機の一つに「地球や動物への負荷を減らしたい」がありますが、その行動は矛盾しているからです。
プライベートジェット機や燃費の悪い高級車を少人数で乗り回しているセレブ型ヴィーガンと、日本で肉魚も食べて普通に暮らしている庶民を比べると、後者の方が地球に対する負荷は軽いはずです。
地球への負担、たとえば温室効果ガスの排出量が多ければ、それだけ地球に住む生物への大きいといえます。
つまり、地球およびそこに住む生物への負荷は総合的にとらえないと意味がありません。
革製品への批判について
それに革製品が批判されるのも違和感があります。
というのも、野生動物が捕食した際は食べられる部分だけ食べてあとはほったらかしにします。
しかし、人間は動物の肉だけを食べるのではなく、骨をダシ汁として利用したり皮を服やアクセサリーとして利用します。
とくに家畜の骨や乾血はヴィーガンが大好きな野菜を育てる際の肥料にもなっているんですよ。
害獣駆除も含めて野菜は動物の犠牲なしにはできあがりません。
それは生き物の命は循環しているようなもの。ライオンキングでいう「サークルオブライフ」です。
「もったいない」の精神からいうと、肉だけ食べて捨てるよりも血や皮まで利用する方がよっぽど効率的で動物を思いやっていると思いませんか。野生動物もペットもいつかは死にますからね。
たとえば牙だけを目当てにゾウを殺すのは残虐であり、私も反対します。
しかし、生態系に問題ない程度に動物を殺して肉も血も骨も皮も利用しつくすのは悪くないと思います。
まとめ
わたしも哺乳類のペットや動物園の動物が好きなので、ヴィーガンによる動物をいたわる優しい気持ちは理解できます。
しかし、人間の生存とのバランスを考慮すると動物の命は絶対的に保護されるべきとはいえないでしょう。
その延長として肉魚を食べることを考えてみてはいかがでしょうか。
ぜひとも世の中のバランス(人間の生存とのバランス)を考えて主義主張を展開してください。
バランス感覚があれば世の中の人は受け入れてくれると思います。
具体的にはペットショップ店頭での犬猫の生体販売をやめさせることに本腰を入れてみてはいかがでしょうか。それなら私も賛同します。