動物・食事

ヴィーガンはなぜ矛盾を解消しようとしないのか

2019年7月29日

野菜と肉

ヴィーガンとは絶対菜食主義者を意味します。

要するに、肉や魚の類はもちろん、卵や乳製品など動物由来の食べ物を一切口にせず、また毛皮や革製品なども使用しない人です。

これに関して私個人は肉も魚も野菜もバランスよく食べます。

このとき個人的に思うのは、人間の食料になる動物は人間が殺しているのですから(=動物には犠牲になっていただいている)「無駄な食べ残しはダメ」ということくらいです。

そんな私がヴィーガンについて気になるのは、ヴィーガンは矛盾しているため社会の多数派になることができていないという点です。

今回はこのあたりを探ってみます。

もちろん、バランスよく食べるタイプにも矛盾点はありますが、ヴィーガンに比べると矛盾の度合いはまだ小さいと思います。

ちなみにこのページのタイトルである「ヴィーガンはなぜ矛盾を解消しようとしないのか」について答えると「肉魚を食べないオレってかっこいいし、肉魚を食べる人間ほど罪深くない」という優越感があるからです。

ヴィーガンの一部が攻撃的なのも「ヴィーガンこそ人として絶対的に正しい生き方であるため、それに反する野蛮な人は駆逐されるべき」と考えているからです。反捕鯨派の一部が攻撃的なのも、それと似たようなもの。

※平和的なヴィーガンや反捕鯨派も多数いらっしゃいますので悪しからず。

ヴィーガンはなぜ矛盾しているのか:栄養学的な観点

まず栄養学的に見ると「ヴィーガンは動物性脂肪をとらないので健康」と主張するタイプと、「絶対的な菜食主義は栄養バランスが偏っていてむしろ健康に悪い」と主張するタイプがいます。

最先端の栄養学の見地からいうと、この論争の決着はついていないようです。

ただ、人間は若い時期(肉体をつくる時期)と高齢期では好む食品や必要とする栄養が異なりますので、年代によって栄養バランスを変えるべきかもしれません。

生き物にも心があるという主張

次にヴィーガンの思想面です。

ヴィーガンの主張でとくに違和感をもつのは「動物にも心がある」という主張です。

要するにヴィーガンは「動物は生きたいという意思をもっているのだから、人間は動物を殺すな(食べるな)」といいたいのでしょう。

これに関して私は個人的に犬が好きで、犬を飼っていた経験もありますから「犬にも心がある」と思ったことが何度もあります。

子犬時代のシェルティ
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犬は親しい人が来ると尻尾をふって喜びますし、敵っぽい動物を見つけると尻尾を立てて怒りますから、犬にも心があると思ってしまうのです。

同じように動物園を訪れると「動物にも心がある」と思うことはしばしばあります。ヴィーガンとまではいかなくても、こういう感じ方をする人は多いと思います。

しかし、野生動物は自分が生きるために他の動物を平気で殺します。

野生動物は人間とは違って「毎日が食うか食われるかの極限状況にいるから食べるのはOK」という説もあります。

これは極限状況で生きるためには人間は他人を食べても法的に許されうるのと同じような理論。いわゆる緊急避難というやつ。

しかし、野生のオスライオンは生きるために食べるのではなく新しい群れに入ったときに子殺し(他のオスライオンの子どもを殺す)におよびます。これは極限状況とはいえません。

子殺しにおよぶ動物はライオンに限らず結構います。その理由はいくつか説があって断定しにくいです。

よくヴィーガンは家畜の屠殺場の悲惨さを批判しますが、それなら野生動物の子殺しはむごくないのでしょうか。

ヴィーガンは動物の権利を守りたいのなら野生動物の獰猛さや野生動物が罪に問われないことをまず批判すべきです。

要するに、ヴィーガンが主張する動物の温厚なイメージはペットや動物園の動物など人間が飼いならした末の人工的なイメージであって、野生動物はそんなに温厚ではないということです。

もし、野生動物が温厚だったら自然界では生き抜けずにすぐに絶滅してしまいます。

ヴィーガンは動物を殺すことに反対なのであれば、動物による動物殺しにも反対しなければ筋がとおりません。

しかし、現実のヴィーガンは動物による動物殺しは批判せず、肉魚を食べる人間ばかりを一方的に批判するため何とも中途半端な印象がぬぐえません。

日本人は文明化された社会で生きているからこそ「無駄に動物を殺すのはよくない」「野菜ばかりを食べていても生活できる」と思えるのであって、原始的な社会だったらそんな悠長なこと言ってられないよね。
そういえばヴィーガンによるデモが起きるのって先進国ばかりだな。

人間のエゴ

私は犬好きですが、途上国にいるような野犬はこわいと思います。YouTubeで途上国のスラムを平気で歩いている旅動画を見ると「野犬対策は大丈夫かな」と考えてしまいます。

途上国の野犬は致死率が100%ともいわれる狂犬病をもっている可能性が疑われるからです。

かつて私がペットとしてかわいがっていた犬は人工的に飼いならした存在であって、野生としての犬はかわいがる対象ではないのです。

正直言ってそういう犬は駆除しなければならないでしょう。ここに人間が生き延びるためのエゴがあると言わざるを得ません。

ネズミにしても同じです。

某テーマパークではネズミキャラが信じられないほどの人気を誇っていますが、これも人工的なイメージの世界にすぎません。

現実のネズミは住宅に侵入して食べ物を荒らしたり、伝染病を媒介する人間にとって好ましくない動物だからです。

普通、一般家庭や飲食店ではネズミを徹底的に駆除するものですが、ヴィーガンはネズミを駆除しなくても生きていけるのでしょうか。

現代人は生き延びるだけでも間接的に動物を殺している

新薬の開発についても動物実験によって動物を大量に殺した末に優れた新薬を得られるわけですが、ヴィーガンは薬の効能を一切欲しがらないのでしょうか。

いや、ヴィーガンの多くは自分が病気にかかれば薬の効能を欲するでしょう。

これは間接的に動物を殺しているようなものです。

農作物の生産にしたって害獣や害虫を駆除したところに成り立っています。

害獣・害虫を駆除せず、また農薬も使わない栽培方法では十分な量の農作物を生産できません。

ヴィーガンはそういった野菜すら食べないのでしょうか。

いや、ヴィーガンは肉魚を一切食べないのであれば、大量生産された植物性の食べ物をとるしかありません。

つまり、単に肉魚を食べないというだけでは現代人は原罪(=他の動植物を犠牲にしないと生きられない)から逃れられないのです。

電車や飛行機に乗っているだけでも、乗り物がぶつかって鳥獣を殺してしまうことはよくある。これも現代人が文明的な生活を営んでいるから。こんなのはそう簡単に逃れられない。
火力発電所による大気汚染は野生動物の負担になっているから、電気を使っているだけでも間接的に動物を殺しているようなものだよね。
風力発電のブレード(羽根)だって鳥類を大量に殺しているよ。再生可能エネルギーは決して万全じゃない。むしろ効率が悪すぎて単なる徒労や自己満足に終わっているものもある。
「動物を食べない」っていう誓いは個人の自由だけど、現代人が動物を殺さずに生きていくことはほぼ不可能だね。
現代人はだれもがそういう罪を背負っているのだけれど、ヴィーガンは動物を食べないため罪の意識が低いのかもしれない。
害獣は殺さず避妊・去勢手術で対応すべきという主張もありますが、そういうのは経済的に割に合いません。

自家用車を乗り回すヴィーガンと自家用車は使わない肉好きの人だったら、総合的な環境負荷は前者の方が大きいのかも。

革製品への批判について

それに革製品が批判されるのも違和感があります。

というのも、野生動物が捕食した際は食べられる部分だけ食べてあとはほったらかしにします。

しかし、人間は動物の肉だけを食べるのではなく、骨をダシ汁として利用したり、皮を服やアクセサリーとして利用します。

とくに家畜の骨や乾血はヴィーガンが大好きな野菜を育てる際の肥料にもなっているんですよ。

害獣駆除も含めて野菜は動物の犠牲なしにはできあがりません。

「もったいない」の精神からいうと、肉だけ食べて捨てるよりも血や皮まで利用する方がよっぽど効率的で動物を思いやっていると思いませんか。

たとえば牙だけを目当てにゾウを殺すのは残虐であり、私も反対します。

しかし、生態系に問題ない程度に動物を殺して肉も血も骨も皮も利用しつくすのは悪くないと思います。

まとめ

わたしも哺乳類のペットや動物園の動物が好きなので、ヴィーガンによる動物をいたわる優しい気持ちは理解できます。

しかし、人間の生存とのバランスを考慮すると動物の命は絶対的に保護されるべきとはいえないでしょう。

その延長として肉魚を食べることを考えてみてはいかがでしょうか。

ぜひとも世の中のバランス(人間の生存とのバランス)を考えて主義主張を展開してください。

バランス感覚があれば世の中の人は受け入れてくれると思います。

具体的にはペットショップ店頭での犬猫の生体販売をやめさせることに本腰を入れてみてはいかがでしょうか。

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