私はシェットランドシープドッグという種類の犬を飼っていたことがあります(享年14歳)。上の写真はその子犬時代です。
シェットランドシープドッグ(通称:シェルティ)とは『名犬ラッシー』で有名なコリーという犬種の中小型版と考えてください。
そのときの経験を中心に犬はなぜかわいいのかを解説していきます。
犬がかわいい理由:従順すぎる
犬がかわいい理由として最も大きいのは「犬ほど人間に従順な生き物はいない」という点です。
たとえば、人間の就職面接においては「面接官のことを好きになれ」とかいわれます。面接官を嫌うよりも、面接官に好印象をもっていることを態度で示すほうが受かる確率は高いからです。
でも、面接官を好きになっただけで面接がうまくいくとは限りません。
人間の異性に対しても意中の相手には好意を示したほうがいいなんてことがいわれますが、現実には容姿や経済力なども見られるため、うまくいくとは限りません。容姿や経済力を大きく改善するのは難しいですし。
しかし、犬に対しては毎日のように優しくしていれば、かなりの高確率で犬は自分になついてくれます。
本来、動物は仰向けのような無防備の姿勢をとりたがらないものですが、飼い犬は自分から仰向けになって「私に触って」という感じでおねだりしてきます。
人間は欲にまみれた存在であり地球環境を壊していますが、犬はそんな人間を積極的に好きになってくれるのです。こういうのを「無償の愛」と呼ぶのでしょう。
しかも犬は「自分からすり寄ってくる」「尻尾を振る」「耳がぺたんと寝る」と反応を起こすと上機嫌である可能性が高いです。
つまり、犬の内面(優しい人間を好きになる)と身体面(好きな人に対しては素直に尻尾を振る)は人間にとってかなり魅力的なのです。
こんなのかわいがるしかありません。
身体面のかわいさ
ここから先は、犬のかわいさを次の4つに分けたうえで述べていきます。
- 身体面
- 内面
- 人間都合
- 長年の絆
1つ目は身体面でのかわいさです。
身体面でのかわいさは、
- 大きい黒目
- あくびとため息
- 湿った鼻
- 尻尾
- 成長してもなお残る幼さ
といった項目にわけることができます。
このうち犬の黒目が大きいのは、どこを見ているか相手にわからなくさせるためだといわれています。
人間のように白目の部分も大きいとどこを見ているか相手にバレバレですが、目が真っ黒だとどこを見ているのかわかりにくいため黒目だらけの方が野生では有利なのです。
ペットとしての犬に野生は関係ありませんが、それでも真っ黒な眼と真っすぐな視線でエサをもとめてこられるとどうにも参ってしまいます。
黒目が大きくてかわいい動物は他にパンダ、アザラシ、シカ、ウマなどがいます。
女性の化粧にもいえますが、人間は本能的に黒目が大きい生き物を好みます。
パンダはその典型で、もし目のまわりの黒色がなかったらこれほど人気は出なかったでしょう。
犬の黒目の下には同じく黒色の鼻が湿った感じであります。
私がKの頭をなでるとKの耳が寝て上目づかいとともに鼻を軽くツンと上にあげる仕草がかわいかったです。まるで「もっとかわいがって」といわんばかりの仕草でした。
さらに忘れてはいけないのが尻尾です。尻尾の上げ方や振り方でなんとなく犬の感情も見えてきます。
「犬は尻尾でしゃべる」とはよくいったものです。
犬は成長しても幼さが残っている
それから、犬はある程度成長しても幼さが強めに残っている生き物です。
上の画像は8歳のころのKの様子ですが、犬の8歳は人間でいえば初老の年齢なのに妙に幼く見えると思いませんか。
野生では幼さとは弱さを意味し敵に攻められる弱点ですが、ペットとしては悪くありません。成長しても幼さが残っているのはかわいいです。
犬が年をとっても外見が幼いと、飼い主は自分が年をとっていないかのような錯覚に陥ります。ペットとしての犬は「永遠の子ども」のような感覚ともいえます。
外見だけでなく犬は年をとっても子犬のときのように人間に甘えたがります。
普段、犬は日当たりのよいところで外を眺めていたり寝ていたりするのですが、たまに人間の方にやって来ては甘えたがるのです。
そして犬を抱き上げたときに、犬の体温は人間より少し高いことを実感すると、こちらの心まで暖かくなります。
ただし、Kは抱っこされるのが嫌なときもあったようで、その場合は少し抵抗しつつも「仕方ないから抱っこされてやるか」という感じに見えました。
内面もかわいい
次に内面としてのかわいさについて。犬は内面もとても魅力的です。
内面のかわいさは、
- 忠誠心
- 毎日の歓迎
- 健気さ
- 純心
- 賢さとアホさ
などに分けることができます。まずは忠誠心についてです。
犬は飼い主一家を主人と見なして懐いてくれます。より正確にいうと、懐くというよりも飼い主のことを忠実に想ってくれるという感じです。
たとえば犬は、外出先から帰ってきたときはもちろん、朝起きて出会ったときでさえも飼い主を歓迎してくれます。
人間は欲にまみれた生き物ですが、犬はそんな人間と一晩時間をおいただけでも全身で歓迎してくれるのです。
優れた嗅覚で察してくれる
また、よく知られているように犬の鼻・嗅覚はとても優れています。Kもよい嗅覚をしていました。
たとえば、私の家族が1分ほど前に自転車で通り過ぎた道をKに歩かせると、Kは明らかに落ち着きがなくなって首を左右に振って何かを探しているのです。
それは鋭い嗅覚によって家族が少し前に通り過ぎたときに残った匂いがわかっているとしか思えない行動でした。
犬は飼い主一家の匂いを覚えているのです。犬が家族をそれだけ察してくれるというのはうれしいものです。
健気に生きているだけでも人間の力になる
さらに犬は健気に頑張って生きている姿を見せてくれるだけでも人間によい影響をもたらしてくれます。これは元MLB選手のイチローさんもいっていることです。
アメリカでは犬を使った受刑者の更生プログラムまであるくらいです。更生で共にする犬は今まで不遇な経験をした犬も少なくなく、犬は当初、人間を拒絶します。
しかし、地道に訓練すれば犬は受刑者でさえも歓迎してくれます。犬は受刑者の更生にまで役立つなんてすばらしい生き物だと思いませんか。
そもそも、犬は自分の寿命の短さを認識できずにたった10年前後で死んでしまいます。かなり長く見積もっても20年くらいが限界です。
そのためから、犬は真っすぐに生きるしかありません。
その真っすぐな姿を見ていると「自分も頑張らなくちゃ」と思うものです。
逆に人間は自分の寿命をなんとなく認識できますから、打算で動くところもかなりあります。
また人間は平均で80年程度は生きますから、途中では「無駄なひと時」もかなりあったりします。
そのため、打算で生きる人間にとっては純粋に生きている寿命の短い動物がそばにいると愛おしくなるのだと思います。
犬の寿命が長かったら長かったで問題があります。
もし、犬が飼い主よりも長生きするようだと、飼い主は責任をもって飼えなくなるからです。
足音までもかわいい
健気さに関して、たとえばKは毎日同じ健康的な餌を食べているだけなのに、私が餌を皿に盛りつけている段階でいつもうれしがってテーブルのまわりを走り回っていました。
このときのリズミカルな足音でさえもかわいかったです。
ほとんどの人間は毎日同じメニューばかりを食べていたら飽きますが、Kはいつも喜んで全部食べていました。
盛り付けに使った皿はもちろん、盛り付けの際に使ったスプーンまでもキレイに舐めまわすのが日課でした。
これほどまでにどん欲だっただけに死の間際で何も食べてくれない日が続いたときはとても悲しかったです。
さらにKは死の淵でこん睡状態に陥ったとき、トイレだけはいつもの場所でしようと自分から必死に動いていました。
寝たきりでしたからそのまま漏らしてもいいのに、いつもの習慣を忘れない姿勢には感動させられたものです。
元気だった時期では、こちらが話しかけるとわかったような素振りを見せたり「もっと話しかけて」といわんばかりの表情を見せました。まるで何かを喋り出しそうな雰囲気さえありました。
ときには慰めてくれたり、家族間に不和が生じたときの雰囲気的な仲裁役を務めてくれたりもします。そこには人間に長年連れ添ってきただけの聡明さを感じます。
アホなときでもかわいい
犬はアホなときでもかわいいです。
たとえば私がKを散歩していたとき、Kは近くにいた他の犬の様子が気になったようで何度も後ろを振り返りながら歩いていたら立木に頭をぶつけて悲鳴をあげてしまいました。
「犬も歩けば棒に当たる」を体現してしまったのです。こういうアホな行動にも人間は心底癒されるものです。
人間都合のかわいさ
さて、ペットとしての犬は飼い主に頼るしかない存在です。
犬が野生にいると衛生面で人間は迷惑がるため、ペットとして人間にすり寄るしかないからです。これは猫やウサギといったペット動物が野生にもいることとは対照的。
一昔前では日本にも野良犬がいましたが、現在ではいたらすぐに通報されて保健所行きでしょう。
やはり狂犬病の発生を予防するために野良犬を処分するのは仕方ないことです。
犬は、社会にとっては飼い主の近くで生きるべきであって野生で生きてほしくない動物なのです。
犬はそういったペットとしての悲しい?宿命を自覚しているのか、人間に積極的にすり寄ってきます。
まるで自分よりも他人(飼い主)の方が好きといわんばかりにすり寄ってきてくれます。
しかし、野犬としての犬の寿命が4・5年で、ペットとしての犬の平均寿命が10数年だとすると、犬にとってもペット化は悪くないようにも思えます。
もし、犬が野生かペットかを自主的に選べるとしたらどちらを選びたがるでしょうか。
おそらく犬はペットの道を選ぶ方が多いと思います。
シェパードのような屈強な犬は野生でも生きられるとしても、Kのような犬が野生にいたら、たちまち敵に狙われて早い段階で死んでしまいそうだからです。
どこまでかわいがるべきか
私には、犬は飼い主が責任感をもって飼わなければならないと痛感したエピソードがあります。
それは大きなダニ1匹がKの血を吸っていたのを発見したときです。
そのダニは肉眼では発見しにくい前足の付け根の毛が長い部分に引っ付いていたため、発見が遅れてしまったのです。
犬は「ワンワン」という鳴き声か悲鳴しか発せませんから頼るべきは近しい人間だけだというのに、私は早く気づいてあげられなかったのです。このときほどダニを憎んだことはありませんでした。
ただ、人間は飼い犬に責任をもつべきとはいっても、明らかに死の淵にいる老犬に延命治療を施したり、流動食を半ば強引に投与するべきかは難しいと思いました。
犬のこん睡状態の苦しさは、こちらの心身が張り裂けてしまうほどのものでしたから、早く楽にさせてあげるのも一つの選択肢だと本気で思ったものです。
このときは結局、延命治療はせず流動食をあげるという形にとどまりました。
それがよかったかは今でもよくわかりません。
果たして人間は犬をどこまでかわいがるべきなのでしょうか。
長年の絆にもとづくかわいさ
さて、家畜は人間が食べるために存在し、警察犬は警察業務に役立てるために存在します。
それでは、仕事犬以外の大多数の犬は何のために存在するのでしょうか。
「人間にかわいがられるために存在している」としかいえません。ほとんどの犬は愛玩用(ペット)なのです。
人間にかわいがられるために犬が存在するというのは割と新しい考え方のように見えますが、意外と古い面もあります
なぜなら、日本で遺跡を発掘すると昔の人は犬を猟犬と同時に大切な家族と見なしていた節があるからです。
そもそも遺跡で発掘調査をすると骨の出土パターンは大きく分けて二つあります。
一つは人間のように手厚く葬られた状態で出土することです。もう一つは食べた獣や魚の骨のように無造作に出土することです。
日本の犬は人間と同じように丁寧に埋葬されていたことがわかっています。またその手足には骨折の治療痕も見つかっています。つまり、縄文人は犬を大切な家族と見なしていたのです。
冷徹なことをいうと、縄文時代の医療や生活の水準では骨折した犬は人間が食べてしまう方が合理的ですが、それでも縄文人は精いっぱいかわいがっていたようです。
そんな縄文人が、もし未来の日本人は何の罪もない犬を大量に殺処分していることを知ったらどれだけ嘆き悲しむでしょうか。
犬は裏表がなく飼い主を裏切りませんが、人間は平気で犬を裏切る場合があるわけです。
もし私がお金持ちになれたら自宅に芝生の広い庭を設け、そこで保健所から引き取った犬を走りまわせてやりたいですね。
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