英語でクジラは「whale」、そして捕鯨は「whaling」といいます。
上の画像のように「whaling」とYouTube(地域設定はアメリカ)の検索欄に入力すると、サジェストにトップで出てくるのは「in japan」「japan」です。
つまり、英語圏の人(≒西洋人)は捕鯨と日本をむすびつけて考えることに関心があるとしか思えないのです。
イルカ漁についても似たようなものです。分類学からいってもイルカとクジラはとても近いですし(イルカは小さなクジラ)。
そのサジェスト検索では「日本人による捕鯨は残虐」という感じの動画が上位に表示されます。
ここで捕鯨やイルカ漁についていろいろ反論したい日本人は多いでしょう。
そこで以下にクジラとイルカの食用捕獲に対する反対意見と賛成意見をわかりやすくまとめました。
まずは捕鯨反対派の意見から見ていきましょう。反対派は欧米人に多いと見られます。
ちなみに筆者は捕鯨に賛成しています(絶滅危惧種はダメですが)。
すべての意見を冷静に考慮すると賛成派の意見に説得力があると考えるからです。
なぜ捕鯨やイルカ漁に反対するのか:反対派の理由
反対派が掲げやすい理由は以下のとおり。
- クジラやイルカは知能が高いので食べるのは野蛮
- 水族館で展示するために経由する生体販売も残酷
- かわいいから捕ってはいけない
- まずいのでわざわざ食べるべきではない。他に食べられるモノがあるでしょ
- クジラやイルカを捕って食べるのは残酷で恐ろしい
- クジラやイルカの頭数は減っている
- 観光資源としての経験や配慮からクジラを守りたい
- クジラは飼えないため食べてはいけない
- 集金やストレス解消のために捕鯨反対を展開しているだけのこと
- 海に生きる哺乳類は神秘的だから保護すべき
- 捕鯨に反対する西洋人の価値観は普遍的に通用する
この先で述べる各項目(捕鯨反対の理由)の下にある「~」はツッコミどころや補強意見を意味します。
基本的に捕鯨反対派の理由は感情的な傾向があります。それはイルカ漁の反対派とほとんど同じようなものです。
クジラやイルカは知能が高いので食べるのは野蛮
水族館でクジラやイルカは調教師から仕込まれた芸を見せるように、クジラやイルカは知能が高い(人間を理解する)というイメージがあります。
サルの類を食べる民族がほとんどいないのも、サルは人間に近く、また彼らの高い知能を尊重しているからではないでしょうか。
最近ではイルカやクジラを水族館で展示するのはかわいそうと主張する人もいます。
これは、人間を無理やり檻に押し込むのは虐待であるように「イルカやクジラを狭い水槽に入れるのはかわいそう」という主張。
つまり、反対派はイルカやクジラを擬人化しているところがあるのです。
水族館で展示するために経由する生体販売も残酷
イルカ漁に反対する勢力は、食べることはもちろん、水族館で展示するために経由する生体販売も残酷だと批判します。
これについて注目されるのがWAZA(世界動物園水族館協会)とJAZA(日本動物園水族館協会)の関係。
WAZAは日本のイルカ漁(追い込み漁)をかなり批判しており、そのイルカ漁から展示用の生体を購入することも禁止しているからです。
要するに動物園・水族館は野生で捕えた生体を購入・展示していいか悪いかという点が争われているというわけ。
WAZAやJAZAに加盟していない動物園・水族館もあります。この場合、イルカ漁からイルカを買うことができます。
ただし、JAZAとしてはWAZAから追放されたら他の貴重な動物を取引・展示するのが難しくなるため従う方がメリットが大きいです。
もし自分がイルカだとしたら、広いけれど毎日がサバイバルの自然(大海原)にいるのと、狭くて芸を覚えさせられるけど餌が安心してもらえる水族館にいるのだったら、どっちが幸せなんでしょうかね。
それはイルカにとっても人間にとっても判断が難しいところ。
かわいいから捕ってはいけない
確かにクジラやイルカはかわいいかもしれません。欧米人がつくった芸術作品でもクジラやイルカはポジティブな感じで描かれています(例外的にディズニーのピノキオでクジラは悪役)。
各国のスポーツでもドルフィンズやホエールズなんていうチーム名はよくありますが、ブタを由来としたピッグスなんていうチーム名は聞いたことがありません。ドルフィンやホエールはそれだけポジティブなイメージが確立しているのです。
しかし、世の中にはブタをかわいいと思う人だっています。ブタもそれなりに賢いといわれている生き物ですが、聖書でブタはネガティブに書かれています。
ここで「ブタは食べてもいいけど、クジラやイルカは食べてはいけない」といったら矛盾していると突っ込まれます。
つまり、クジラもブタも食べる、あるいはどちらも食べないという行動こそ説得力があるでしょう。
ちなみに野生のイルカは共食いや子殺し、集団リンチにおよぶことが確認されています。イルカは人工的なイメージや水族館の中では賢くてかわいいのでしょうが、野生では荒々しいのです。
イルカ漁が残虐だと思う人は、まず共食いや子殺しにおよぶ野生のイルカを批判してみてはどうでしょうか。
「まずいのでわざわざ食べるべきではない。他に食べられるモノがあるでしょ」
個人的にはクジラの生赤肉はマグロと牛肉の中間という感じの味でおいしいと思います。
クジラを給食(揚げ物)として食べた世代は「固い。あまりおいしくない」という印象が強いようですが、それから保存技術も進んだことで生肉をおいしく食べられるようになりました。
なお市場に出回るのは赤肉やベーコンがほとんどですが、専門店では希少な尾身も出回ります。
最近の日本では鯨肉の需要が減っているとのこと。とくに若年層では食べた経験のある人が減っているようです。
これは20世紀後半で反捕鯨が盛り上がったために鯨肉が給食やスーパーマーケットに出回らなくなり、食べる機会がなくなったことが原因でしょう。
クジラやイルカを捕って食べるのは残酷で恐ろしい
クジラやイルカを捕って食肉として解体する際には大量の血と臓物があふれ出てきます。これにショックを受ける人はかなり多い模様。中にはこれを「非人道的」と呼ぶ政治家さえいました。
しかし、それをいうならブタやウシの屠殺場も同じようなものでしょう。スーパーマーケットで売っている肉はキレイな感じがしますが、あれは業者のおかげに他なりません。
にもかかわらずブタやウシの屠殺はスルーして、クジラやイルカが血まみれになっているところばかりを強調するのは偏っています。
まあ家畜も一切食べない人が批判するのならまだ説得力があるでしょうが。
〆る(しめる)とは、とった魚を殺して血を抜いて鮮度を保つこと。
ちなみに人間への死刑はもちろん、魚の活〆、ペットの安楽死、家畜の屠殺はなるべく短く行うのが人道的であって、拷問のごとく長々と苦しめるのは非人道的とされています。
中には殺すことすべてを非人道的と見なす勢力もいますが。
クジラやイルカの頭数は減っている
実際には減っている種もあれば、増えている種もあります。
具体的にはナガスクジラ(大型種)は頭数が少ない一方で、ミンククジラ(やや小型)は頭数が多い模様。
クジラやイルカは全世界に数十種類いますが、捕鯨反対派はクジラ全体をひとくくりに神聖視している感じです。
観光資源としての経験や配慮からクジラを守りたい
四方を海に囲まれた国オーストラリアではホエールウォッチングが盛んです。
幼いころからホエールウォッチングに親しんでいると「クジラって神秘的で素晴らしい。だから捕ってはいけない」と考える人たちが少なからずいます。
観光戦略的にも「気軽に食べられる食用動物」というイメージよりも、「人間が食べてはいけない神聖な動物」というイメージで展開した方がプラスになるでしょう。
クジラは飼えないため食べてはいけない
「ウシやブタは家畜として人工的に殖やせるため食べてもいいが、ほとんどのクジラは飼えないから食べてはいけない」というのはよく聞く論法です。
しかし、飼えないモノは食べてはならないというのならタコも食べてはならないはず。
集金やストレス解消のために捕鯨反対を展開しているだけのこと
「捕鯨反対運動をやると応援のごとくお金が集まり、日本を叩くとストレス解消になるから反対運動を展開している」というのも、十分ありうる理由です。
ただ、個人的には捕鯨反対派は上層部と下層部では心理や目的が異なると思います。
おそらく、上層部は集金や関連団体とのやり取りなど政治的な都合を優先していると感じます。
一方、大衆は「クジラは賢くてかわいい生き物だから守らなくちゃ!」みたいな感情にもとづいて反対しているでしょう。
海に生きる哺乳類は神秘的だから保護すべき
確かに海も海中生物も現代の科学力をもってしてもすべて解明できていません。
そして、陸上生物もまだ解明されていない部分はたくさんあります。
したがって、この理論を厳密に適用すると肉魚はすべて捕獲禁止でないと筋が通りません。
捕鯨に反対する西洋人の価値観は普遍的に通用する
昔のキリスト教徒は正統から外れた人を異端と見なし差別していました。それが激しく燃え上がったのが宗教戦争です。
現代の捕鯨論争もこれと同じで、クジラやイルカをとらないことが人として正統で、食べることは異端・野蛮と見なす思想が捕鯨反対派の界隈(とくに西洋)にはあります。
そして洋服、英語、洋式トイレ、洋食器は世界中に広まったように、西洋人は西洋の文化や思想こそ普遍的に通用すると考えがちです。
しかし、何から何まで西洋人の価値観を優先してもいいわけではないでしょう。
大体、黒人奴隷を大量に酷使したり、先住民を大虐殺した人たちが人道的な価値観を主張しても説得力に欠けます。
なぜ捕鯨やイルカ漁に賛成するのか:賛成派の理由
次に賛成派の理由を見ていきましょう。
- 伝統だからこれからも続けたい
- 人間は他の動植物を食べないと生きていけない
- クジラを利用し尽くすべき
- 西洋人の倫理には疑問が残る
- ノルウェーやアイスランドによる捕鯨はあまり批判されないのはおかしい
- 牛肉や豚肉を無駄に多く消費している民族は許されるのか
- 捕鯨反対は個人の信仰としてはありだが他人に強制すべきではない
- 過激な捕鯨反対派の行動には疑問を覚える
- 海洋資源のバランスを保つためにも捕鯨が必要
基本的には食べるということを公平に考える必要があります。
伝統だからこれからも続けたい
世の中にはよい伝統もあれば悪い伝統もあります。
そのため「伝統だから捕鯨を続けるべき」というのは根拠としては弱い感じがします。
筆者としては伝統云々は関係なく、現代人にとって合理的か否かで考えるべきだと思います。
人間は他の動植物を食べないと生きていけない
人間を含めたあらゆる生物は、他の動植物を食べなければ生きていけません。動植物を食べることが反人道的というのなら、すべての人間は滅びなければなりませんが、これはかなり無理のある結論です。
したがって、捕鯨もその他の肉食も人間の生命活動を保つ行動として認められるというのが賛成派の基本線にあります。とくに鯨肉は貴重なたんぱく源になります。
いかなる生物も他の動植物を食べるという原罪から逃れられません。
それならば日本人が食前に「いただきます」と発するように、様々な生物をしみじみと味わって原罪を深く認識すべきではないでしょうか。
ちなみに日本各地にはクジラやブタの供養碑(≒お墓)がいくつもあります。
家畜であるブタにも感謝して供養碑を建てるのは日本人の宗教観が表れている感じですよね。
畜産関係者は定期的に畜魂祭を開いて畜霊の冥福を祈っていますし。
しかしながら、現代の日本は世界的に見てもワーストクラスで残飯・食品ロスが多いです。
食品ロスの多さは動植物の死が無駄になっていることを意味しますから、倫理的にも問題があります。
クジラを利用し尽くすべき
今も昔も日本人は家畜やクジラについてあらゆる部分を食べたり、骨をダシ汁として使います。昔の日本人は楽器の部品にまでクジラのヒゲを使っていました。
しかし、昔の米英は鯨油目的だけにとらわれて捕鯨におよんでいました。
日本人の精神からすればクジラには犠牲になってもらった以上は無駄に捨てることは「もったいない」です。
ただし、現在のフランスではフォアグラを否定的に見る人が増えているように、動物・食べ物に対する感覚は時代によって変わるところもあります。
米英は今も昔もキリスト教国家であり、19世紀のアメリカは世界最大の捕鯨国でした。
つまり、捕鯨に積極的だった時代も欧米にはキリスト教が根付いていた以上、キリスト教と現代の捕鯨反対をむすびつけるのはおかしいともいえます。
ただ、今と昔では情報量が違いすぎますし、現代の欧米人は昔の乱獲を悔いているとも考えられます。
西洋人の倫理には疑問が残る
捕鯨反対派の西洋人は自分たちの倫理観は普遍的に通用するとアピールします。
しかし、かつて西洋人はアメリカ大陸やオーストラリアの先住民を殺しまくり、多くの動植物を絶滅に追いやりました。
白人の倫理観は現代でも利己的だという一面を表しているのが、以下のニュース。
注目ニュース
AFPBB News:2015年9月29日
NATIONAL GEOGRAPHIC:2017年11月26日
琉球新報:2015年3月4日
ノルウェーやアイスランドによる捕鯨はあまり批判されないのはおかしい
ノルウェーやアイスランドも捕鯨国ですが、日本ほど批判されていません。
それは欧米諸国にとっては政治的に日本の方が批判しやすいからでしょう。
人間は領土や領海についてうるさい生き物ですが、大型の海洋生物は領海なんぞ関係なく長い距離を泳ぎます。
つまり、海洋生物には国境がないため、外国は口をはさみやすいのです(特定エリア内だけでの捕鯨でも、捕りすぎれば世界から消える)。
牛肉や豚肉を無駄に多く消費している民族は許されるのか
牛肉も鯨肉も本質はそんなに変わらないでしょう。どちらも一つの生命体に犠牲になってもらった末に食べるものです。
しかし、すべての人間が肉魚ばかりを食べると地球の食糧供給は追いつきません。そして人間は栄養的にも野菜や穀物も食べる必要があります。
そう考えると、肉魚は無駄に多く消費してはならないのかもしれません。
捕鯨反対は個人の信仰としてはありだが他人に強制すべきではない
一部の中国人や韓国人は犬を食べますし、フランス人はウサギを食べますが、それを批判する日本人の存在はほとんど聞きません。
日本にはあらゆる国の料理店がそろっているように、日本人は割と何でも食べる民族なので他国の食文化にも過剰に干渉しないのです。
どこの先進国でも信仰の自由がありますが、これは「個人として信じる分には自由だけれども他人には強要すべきでない」というのが基本的な考え方。
この考え方からいうと、個人の信念としてウシや犬を食べないというのも自由ですが、ウシや犬を食べる民族を批判してはいけません。
それをやぶって日本の食文化に過剰に干渉される筋合いはないでしょう。
「オレたち欧米人はクジラを食べる文化がないから、クジラを食べる文化の民族は野蛮だ」と決めつける方が野蛮なのです。
過激な捕鯨反対派の行動には疑問を覚える
過激な捕鯨反対派は自分たちを絶対の正義と見なします。
そして「自分たちは絶対の正義なのだから、悪である捕鯨船に暴力を働いても問題ない」と考えます。
こういう思い上がった思想は危険であるため、疑問を覚える人は多いでしょう。
海洋資源のバランスを保つためにも捕鯨が必要
クジラやイルカは魚類を大量に食べます。そのためクジラやイルカを適度に捕えないと魚類が減ってしまいます。これは漁師にとっては死活問題です。
海洋資源はクジラやイルカだけでなく全体のバランスを見て捕獲すべきでしょう。
捕鯨とイルカ漁の反対・賛成理由はこれにて終わりです。
細かいことをいうと捕鯨問題を語る際は商業捕鯨と調査捕鯨の違いなども考慮しなければなりません。
でも、捕鯨反対を通じた日本叩きはそういう細かい違いにもとづくものではないと思います。
まとめ:哺乳類と魚類に対する死生観の違い
以前、日本では露店のハムスター釣りが残虐だとして非難を浴びていました。
しかしながら、露店の金魚すくいはそんなに非難されないでしょう。
そう考えると、人間は同じ哺乳類をよくも悪くも特別扱いしやすい生き物なのかもしれません。