先日、フジテレビ系のテレビ番組『とくダネ!』において古市憲寿さんが「オリンピックはただの運動会」という旨の発言をしていました。
古市さんがいうようにオリンピックが「ただの運動会」だとすると、
- 陸上競技の走る系はかけっこ
- 柔道は取っ組み合い
- 野球は球投げ打ち遊び
- バスケは玉入れ遊び(by天才バスケットマン桜木花道)
- サッカーは球蹴り遊び
- テニスは球打ち遊び
なんですよね。
私はテニスを競技レベルでやってきた人間ですが「テニスは球打ち遊び」と呼ばれても、それなりに当たっていると思います。
スポーツ=気晴らし、テニス=スポーツの一種であり、遊びは気晴らしと非常に近い関係にあるからです。
遊びは人間の生命維持にとって絶対的に必要とは言えず、生命に強い危険を及ぼしてまでも行うことではありません。
子どもの遊びは無秩序ですが、スポーツはルールに沿った競争的な遊びという違いがあります。
単なる殴り合いは犯罪ですが、ルールにもとづく殴り合いはスポーツ(ボクシング)として成立します。
そしてオリンピックはさまざまなスポーツをひとまとめにした祭典。
要するにスポーツの本質はルールに沿った競争的な遊びであり、大規模かつ国際的な遊びイベントは社会が平常運転のときにやるべきだということ。
この理論で行くと、まだ世界が平常化しそうもない「2021年夏季の東京オリンピックは中止すべき」だといえます。
オリンピックは中止すべきか【五輪はただの遊びで運動会?】
高校総体や国体のような日本国内の全国大会なら開催するのもありでしょうが、やはり国際的な大規模大会は難しいのが現状です。
オリンピック開催ともなると選手・観客・マスコミといった外国人が大挙して押し寄せ、それが例の病を拡散させるわけですから。
医療資源はどう考えても足りそうにありません。
オリンピズムの目的は、 人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである。
出典:オリンピック憲章-オリンピズムの根本原則
例の病について収束の展望はまだ薄い中での五輪開催はオリンピック憲章にいう「人間の尊厳」とも両立しないでしょう。
無観客開催は割に合わない
無観客開催なら訪日外国人は大きく減るため開催可能という見方もあります。
しかし、無観客開催をゴリ押ししているのはIOCにほかなりません。IOCとしてはとにかくオリンピックを開催さえできれば莫大な放映権料が手に入るからです。

無観客開催が日本にとって大きな利益があればいいのですが、無観客開催だとチケット収入は得られません。
観光収入についても選手や報道関係者による支出だけでは旨味が少ないでしょう。
というか、無観客開催でも選手と報道関係者は訪れる以上、例の病へ莫大な対策費を支払う必要があります。
もし選手間でクラスターが発生したら世界各国から責任を問われる可能性すらあります。こんなのはどう考えても割に合いません。
日本国民の士気は低い
そのうえ日本国民の五輪開催に対する士気も明らかに高まっていません。
オリンピックは開催国の国民が歓待ムードでないと意味がないと私は考えます。


なおオリンピック開催を再び延期すると、五輪開催後の選手村の住宅の分譲契約に支障が生じたり、次回・次次回の五輪開催との調整が難しいため、再延期の線は薄いと思います。
それなら無観客開催の方がまだ現実的でしょう。
オリンピック強行派の意見
次はオリンピックを開催したい派の意見について。
オリンピックは運動会の一種でありながらも、
- 選手として出場資格を得るのはかなり難しいから資格を得ている選手としては開催してほしい
- 日本でオリンピック開催なんてめったにないからぜひ見たい
- 準備の段階でコストがかなりかかっているから無駄にしたくない
- 幹部はお金をたくさんもらっちゃったから強行開催するしかない
- 日本国の威光を世界に知らしめたい
- 五輪開催は経済の活性化につながる
という面もあります。
これがオリンピックを開催したがっている派閥の言い分でございます。
ちなみに今までにオリンピックが中止になったのは夏冬合わせて5回で、すべて戦争(第一次大戦と第二次大戦)が原因でした。
夏季大会は1916年のベルリン、1940年の東京、1944年のロンドン、冬季大会は1940年の札幌、1944年のコルチナ・ダンペッツォ(イタリア)が中止になりました。
1940年の東京大会は日中戦争の影響で1938年の時点で開催を返上。この東京大会は本来ならアジア圏では初開催になるはずでした。
日本は武道精神が強い
さて、私は冒頭で「スポーツは遊びだ」という旨の言葉を述べました。
しかし、日本のスポーツ関係者(とくに古いタイプ)は「遊び」という言葉に違和感・反感をもったはずです。
日本のスポーツは人格との結びつきや学校教育との結びつきが強いように精神修養に近いため、スポーツと遊びを一緒にしたがらないのでしょう。
それは柔道や剣道が礼儀と段位をかなり重視するところにも現れています。相撲なんてのはもともと神事(神聖な儀礼)ですし。
欧米発祥のスポーツである野球についても日本の学生レベルだと髪型規定がうるさいように日本風にアレンジされてしまっています。
日本の学校の部活動は遊びながら楽しむことが主眼ではなく軍隊的な調教になっているのです。
もちろん遊びながら楽しんでばかりいてはスポーツは上達しませんし、気の緩みすぎはケガにもつながるため、それなりの指導は必要です。
しかし、遊びの精神も取り入れるなどして、そのスポーツを好きになってもらうなどバランスが重要です。
学生時代のスポーツが軍隊的だったためにそのスポーツが嫌いになったなんていう人はたくさんいますからね。
日本のスポーツが真の意味で強くなるには「楽しむ精神」がもっと必要だと考えます。
2021年はオリンピックを楽しめる環境ではないため、オリンピックを中止すべきというわけ。