大学生や大学教授には左翼が多いという特徴があります。
これは日本に限らず世界的な傾向です。
今回はこちらについてわかりやすく解説します。
筆者としては大学に左翼が多いことを批判したくはありません。
筆者自身も若い頃は左翼でしたし、現代でも左翼にも学ぶところはありますから。
ただし、学問が極左や極右に偏っているとしたら問題があります。やはり学問は公平でないといけません。
大学の雰囲気はリベラル
まずは大学での学問の性質を簡単にまとめてみます。
この学問の性質こそがやや左翼的であるため、それに真剣に取り組む学生や教授は左翼っぽくなるといえます。
そこでは文系でも理系でも次のことがいえます。
- 人権や理性など普遍的に通用することを探究する
- 理屈っぽい
- 理想主義
たとえば、日本の大学の経済学の授業で学ぶ内容は世界中の大学で教えられている内容と共通しています。
理系学問の物理法則や化学法則なんかも世界各地で通用します。
なお理想主義とは、文系では頭のいい人たちが社会保障や税制といった制度を理屈っぽく設計すれば何もかもうまくいくと考えることだとお考えください。
理系では物質や実験について高い純度をもとめることが理想主義みたいなものです。
学問の理想と社会の現実についてはまた後の方でも触れます。
ちなみにアメリカのトランプ大統領(保守・右翼)は非科学的な言動が多いです。
そのため科学者はトランプ大統領を嫌っているフシがあります。
大学の風紀と雰囲気
次に大学の風紀(規律)と雰囲気の特徴について。これも大学が左翼的なことと大いに関連があります。
日本の一般的な中高と比べると、日本の大学の風紀と雰囲気は次のようなことがいえます。
- 大学に通う際は基本的に私服
- 髪の色やスタイルも自由度が大きい
- 授業の選択は学生の自由に任せられる度合いが大きくなる
- 食事の時間も割と自由
- 学生が遅刻や早退をしても教授は咎めないのが普通(それで悪い成績が下されても自己責任)
- 学生や教授の国籍は外国人の割合が増える
- 女子大以外は敷地内は開放的
- 体育会やサークルに入る入らないは自由
中高では、格好は制服、教わる内容は文科省の学習指導要領に沿ったものばかり、染髪や遅刻は注意される、昼食は決まった時間、そして保護者面談など何かと縛りが多いのが基本です。部活への加入が強制の中高もあるでしょう。
この点、大学は各種の自由度が一気に上がります。外国人留学生の数だって格段に増えます。
大学教授としても大学生を半ば大人と見なして自由な行動を尊重している節があります。
以前、中東の女子学生が留学先の欧米の大学で「欧米の大学は中東社会に比べたら自由でいいところ」と言っていました。
中東は女性が大学に進学することに対して厳しい風紀ですから余計、解放感に包まれるのでしょう。
右翼の特徴を簡単におさらい
次に見るべきは右翼と左翼の特徴です。まずは右翼について。
右翼の特徴
- 国粋主義(伝統文化というその国に特有で感覚的なものを誇る)
- 宗教や神話など感覚的な存在を好む(人間の理性を超えた産物を信じる)
- 外国人に対して排他的
- 教育については管理的な姿勢(子どもを厳しく管理したがる)
- 人々の服装や髪型に規律をもとめる
- 軍事については現実主義あるいは強硬主義
- 学問にもよく出てくる社会問題については非介入的
右翼は教育面で人間(とくに子ども)を未熟な存在だと見なします。そのため右翼は子どもに躾や勉強を厳しく教え込もうとします。
この記事を見ている人の中には、中高の教育がやたら偏差値主義だったり、風紀が管理的で教師がうるさい中高とかありませんでしたか。
あれが右翼や宗教系の学校に多い教育方針です。
左翼の方が大学教育との親和性が高い
次に左翼の特徴について。
左翼の特徴
- 普遍主義(理性や人権など普遍的に通用するものを好む)
- 社会は理屈っぽく設計すればうまくいくと考える
- 外国人と協調的(外国政府との間でも理性的に話し合えば問題は解決できる)
- 教育については放任的(子どもの自主性に任せる)
- 人々の服装や髪型は割と自由でOK
- 軍事については理想主義(武力の縮小や外国との協調をめざす)
- 学問にもよく出てくる社会問題については介入的
どうです?どこからどう見ても右翼の特徴より左翼の特徴の方が大学の学問と風紀と雰囲気に近いでしょう。
これが大学の学問と学生と教授が左翼っぽいことの原因です。
上の箇条書きの中で注目していただきたいのは最後にある「学問にもよく出てくる社会問題については介入的」です。
たとえば、文系でよく出てくる問題として「平和」「人権」「環境問題」「社会保障」があります。
で、この手の問題について左翼は右翼よりも強く「政府が積極的に介入すべき」と考えます。
この背景には、頭のいい人がその問題の解決について制度を理屈っぽく設計すればうまくいくという考え方があります。
右翼はそういった問題については左翼ほど大きく介入したがりません。
で、大学が右翼のように社会問題に非介入的な態度をとっていると、大学および学問は存在意義を疑われます。
大学には公的資金(税金)もいくらか注ぎ込まれていますから、社会に向けて大学は役に立っているとアピールしたいところです。そのため大学の学問も社会問題に対して介入的です。
大学の学問と左翼の性質は相性がよいのです。
現代の大学は左翼の度合いが下がった
しかし、昔に比べると大学の学問における左翼の度合いは少し下がりました。
その象徴が、左翼の聖典だったマルクス経済学の失墜です。マルクス経済学とは資本主義の分析と共産主義への移行をめざした学問のこと。
そもそも世界各国には大きな経済格差があり、これは資本主義(≒自由主義経済)が原因です。人間は自由に競争すると格差ができるものなのです。
そのため資本主義を分析・敵視した左翼は、資本主義とは対極的な性質にある共産主義国家をつくろうとしました。
しかし、この共産主義国家がどれもこれも大失敗に終わったためマルクス経済学は権威がなくなり、日本の大学でも教えられなくなったのです。
現代の大学ではマルクス経済学はおまけ程度に教養として教わるだけで本格的に学べるような体系にはなっていません。
若い頃は左翼だったのにその後転向する理由
冒頭の方で「人間は若い頃は左翼になりやすい」と述べました。しかし、その後、学生が社会人になるとやや右寄り(現実的)になるタイプが多いです。
これに関してたとえばマルクス経済学は、資本主義の冷静な分析と共産主義(社会主義)への移行をめざしたような体系になっています。
最初(とくに学生の頃)はマルクス経済学の分析や論理に感動するのですが、企業に就職するとマルクス経済学とは違う現実が見えてきます。
あるいは現実の社会主義国を見ると、とても理想的な国家に見えないのはだれもが知っているでしょう。
理系においても各種の公式は非常に美しいですが(=理想的、理論通りに実現する)、現実には空気抵抗や不純物など計算しにくい要素が公式の前に立ちはだかります。
あるいは理系人が研究職として入社すると、現実には研究だけでなく社内政治に翻弄されたりもします。
つまり、学生時代は学問の中でも純度の高い理想的な面ばかりを習うのですが、社会に出ていろいろ揉まれると学生時代に習った理想を疑い出すのです。
社会の現実と学問の理想(理論通りに行くこと)は違うといえます。
これが人間は若い頃は左翼になりやすくて年をとると現実的になりやすいことの主因だと思います。
年をとっても左翼路線を突っ走る人
学者や政治家の中には大人になっても左翼度がやたら高いままの人がいます。
そういう人は民間企業や公的機関に勤めた経験が少なく社会の現実を知らないため、左翼度が高いままなのかもしれません。
まあ大学は現実社会からは浮いた存在であるがゆえに独立性が高く、純度の高い研究ができるともいえますが。