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民主主義とは何か、多数決と対義語から民主主義の意味を探る

国会議事堂 社会
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民主主義は多数決が基本

民主主義とは、国民ひとりひとりが権利をもった体制を意味します。

この場合の権利とは、選挙権や自由権など教科書に出てくるおなじみの権利だとお考えください。

自由権とは、信仰、表現、職業、住む場所などは原則として個人の自由だということ。

選挙権についていうと、一般に有権者は候補者の中からよさげな人を選び、その人が当選すれば議会で重要事項を決めるという形になります(多数決が大原則)。

つまり、有権者は議会の重要事項を間接的に決めているようなものなのです。

これを間接民主制といいます。

多数決なら納得できる

ここで民主主義の根幹である選挙についてちょっと深く考えてみてください。

というのも日本の衆議院総選挙は費用が1回あたり600億円ほどかかります。

具体的な政策を行う費用ではなく、政策を決める人を選ぶだけなのに600億円ですよ。すごい金額だといえます。

しかし「600億円も税金をかけて選挙を行った割にポンコツ議員が多くない?これなら選挙なんてやらないでオレが尊敬する賢人にすべてを任せた方が日本はうまく行くんじゃね?」とか考えたことはありませんか。

私はあります。おそらくあなたにもあるでしょう。

で、仮にその賢人とやらがまったく非の打ち所がない聖人君子で全知全能のスーパーマンだとします。

全知全能のスーパーマンなら政治・経済・法律・社会保障・環境問題どれも最善の決定をしてくれそうですよね。

でも、現実には最善の決定という概念はほぼ成立しません。

たとえば賢人が「環境問題を改善するために経済成長をかなり控えよう」と決めたら財界人は激怒します。

こんなことでは財界人や金持ちの利益は減ってしまうからです。もちろん、そういった財界人に雇われているサラリーマンとて悪影響はあります。

逆に賢人が「経済成長を優先するから環境問題なんてどうでもいいや」と決めたとします。

この場合、環境保護団体は激怒し、かつての四大公害のような事件がまた起きて苦しむ人が出てきます。

このように賢人が一人で決定した行動はどちらに行っても批判されます。万能な経済政策はこの世に存在しないのです。

「まだマシ」くらいの経済政策は存在するけどね。

仮に賢人がバランスをとった決定をしたとしても「なんでお前一人に社会のバランスを決められなきゃならねーの?」と思われるだけです。

この点、有権者が選挙で議員を何百人も選んでその人たちに経済政策の決定を任せると「みんなで決めたことだから納得するしかない」と考えるようになります。

そう考えると、民主主義は最善ではないものの一応の納得感をもたせる体制だといえます。

みんなで決めると「まだマシ」な国家ができる

また一人に政治を任せていると、最初は聖人君子だったとしてもそのうち豹変することも考えられます。

その場合、北朝鮮のような独裁国になってしまうでしょう。

この点、みんなで決めれば北朝鮮ほどひどい国家にはなりません。

つまり、民主主義は「まだマシ」くらいの社会をつくるためにあるのです。

民主主義って妥協の産物だよね。

民主主義の訳語

ここからはちょっと真面目な話になります。

そもそも民主主義は「democracy」の訳語とされています。

democracyの元となった言葉はギリシア語のdemokratiaです。demo(s)は「人間」を意味し、kratiaは「権力・支配」を意味します。

つまり、民主主義は人間が権利をもつ人間主体の政治を意味するのです。

民主主義の2つのパターン

人間が権力をもつなんてのは当たり前に見えるかもしれません。

しかし、古代社会や現代のイスラム社会では神の意思をとても大切にします。雨乞いなんていうのはその典型です。

こういった社会では主役は神であって人間ではないため民主主義は根付きにくいものです。

ここでdemocracyを「人間による政治」と解釈すると、democracyの対義語は「神権政治(神政政治)」になります。

神権政治とは、預言(神や霊の言葉)の解釈によって行う政治体制です。

この場合、「人間(俗なるモノ)による政治」と「神(聖なるモノ)による政治」の対比になっているわけです。

この解釈においては独裁政や貴族政も「人間による政治」なので民主政の一種ということになります。

他方、democracyを「多数の人間(大衆)による支配」と解釈すると、独裁や君主制がその対義語になります。

ここでは「多数者による支配」と「少数者による支配」が対比されているわけです。

民主政は間接民主制や共和制の類に落ち着く

ただし「多数の人間による支配」を実現しようとしても、直接民主制は現実的にはほとんど実現不可能です。

たとえば日本の総人口は1億3千万人、有権者数だけでも1億人ちょっとはいますから、その人たちが一堂に会して話し合ったり、採決をとるなんていうのは不可能です。

そのため、民主政治は実質的には「間接民主制(=代表者による政治体制)」「共和制(=君主なき政治体制)」の類に落ち着きます。

近世まで大きな権力をもっていた君主は、近代で廃位になるか統治の第一線から退きました。日本でも天皇は象徴的な地位にとどまっています。

王の力が大きく弱まった背景には王一人では一国の政治を掌握できないほど政府の業務量は増えたということがあります。

こういった国家観を専門用語で行政国家といいます。

しかし、行政国家を担う議員や公務員の数は多いといっても、国政を動かすのは上層部のエリートです。

つまり、皆で政治を行おうとするよりも、皆を的確に導くエリートの育成や、エリートによる政治が機能する体制、そして資質のあるエリートが選挙で選ばれる仕組みの構築に力を注ぐ方が現実的といえます。

現代でも大統領選や住民投票には直接民主制の発想も混じっています。
たたき上げの仕組みを整えるべき

国政を担うエリート(国会議員)について問題なのは、日本は叩き上げの仕組みが整っていないことです。

本来、国会議員には、民間企業で実績を上げた人や有能な地方議員を選出すべきであって、大した経験のない人や知名度だけ先行している芸能人が、党名のみをシグナルとして国会議員にいきなり選ばれるというのは望ましくありません。

他方、オバマ元大統領、キャメロン元首相、シュレーダー元首相など先進国の指導者層は、地方や民間企業で経験を積んでからその才知が認められました。

一党独裁の中国でさえも同様の傾向がある。第二次世界大戦後の中国の指導者層はそこに上り詰めるまでに結構な苦労をしている人が多い。

有能な人材が外資や財閥に流れがちな日本でも、公人の育成や選び方に関して改革が必要とされているのではないでしょうか。

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