学生と社会人の違い
社会人は不思議な言葉です。
一般的に社会人は学生に対して「本業として社会で働いている人」という意味で使われます。
そのため社会人という言葉の意味を探ると、学生と社会人の違いを探ることに力点が置かれます。

それでは高卒・大卒年齢を超えたフリーターは社会人ではないのでしょうか。今回はこのあたりを探っていきます。
社会人という言葉は辞書でさえも曖昧な定義なので、ここで筆者が述べる意見についても少なからず筆者の主観が入ったものとなります。
外食店員には社員もフリーターもいて見分けがつかない
さて以前、有名な官庁と外資系企業に勤めた経験のある超エリート教授が「牛丼屋の店員はキビキビしていて、こちらが見ているだけでも清々しい」といっていました。
確かに混雑時の牛丼屋の店員はキビキビ働いています。
一方、その教授が経験したことのある官僚は、勤務時間はそれなりに長いものの、牛丼屋の店員のように常にキビキビ働いているわけではありません。
というか官僚は基本的に関係者しか入れないビルの中で働くため、働きぶりがよくわかりません。

そうはいっても、日本の官僚には国会待機という習慣があるように無駄な勤務時間や税金浪費もかなりあることがわかっています。
おそらくそのエリート教授は官界の膨大な無駄をよく知っているため、時給がさほど高くないのにキビキビ働いている外食店員に一目置くのでしょう。
外食店はちょっとお金を払えばだれでも入店できますし、店員の働き方も丸見えです。
肩書だけ見れば外食店員よりも官僚の方が立派ですが、日本社会には肩書だけ立派で仕事の中身は非生産的な職業があります。逆もまた然りです。
それに外食店員は、ぱっと見では社員かアルバイトかは見分けがつきません。
ですから、社員かアルバイトかといった雇用形態は、外見の面では社会人として決定的な要素ではないといえます。
付き合う相手を選べるか
そもそも「社会」とは、人と人による関係を意味します。
歴史は人が過去に起こした事実、法は人と人の間の強制的な規範であるように、社会は人間関係がかならず絡んできます。
よく学校に通うと社会性が身につくなんていわれるのは、社会科のおかげというより学校内の人間関係の中でいろいろ揉まれるからです。
ここで考えていただきたいのは学生の人付き合いです。
学生は教師・教授や他の学生(おもに同年代)と付き合っていくものですが、学生の人付き合いというのは基本的に学生が選べます。
大学ではどの授業をとるか、どの人を友達にするかなどは選べるからです。
「大学では授業やゼミ教官を選べるけど、高校では授業や先生を選べないじゃん」という反論が聞こえてきそうですが、その気になれば高校は辞めることが可能です。
一方、社会人も入社先くらいは一定の候補から選ぶことができます。
しかし、ひとたび入社すると赴任地や配属先、上司はそんなに選べないのが普通です。上司になっても部下は選べません。
そこではさまざまな年代の人とビジネス上のやり取りを交わします。
そのうえ、まだ若いうちに会社を辞めると、いつまでも失業保険だけで暮らせないので近いうちにまたどこかの会社に入るか、フリーランスとして働かなければなりません。
このように人間関係に関して自由の度合いが低いのが社会人で、自由の度合いが高いのが学生だと筆者は考えます。
義務の強さ
次に義務の強さの違いを見ていきましょう。
たとえば、大学生が授業に出席しなかったりレポートを提出しなかったりすると悪い成績がつくだけであって法的に訴えられることはありません。
高校生の定期試験にしても似たようなものです。
また大学生は外部の機関に研修生として出向いたりしない限り、守秘義務がありません。
一方、会社員は所属する組織の利益のために働かなければなりません。そこでは守秘義務も課せられます。
もし、それを裏切るようだと平社員でも幹部でも法的に訴えられます。
商談相手が本心では嫌いなタイプだとしても会社のためには商談を成功させなければなりません。そこでは建前で話すこともいろいろあるでしょう。
フリーランスで活動するにしても、請け負った仕事はきちんと納期を守る必要があり、もしそれを守らないと法的には契約不履行に問われます。
つまり、業務(仕事や学業)に関して義務が強く差し迫るほど社会人の度合いが強いといえるでしょう。

人間関係や仕事を割り切れるのが社会人
数行前に「商談相手が嫌いなタイプだとしても会社のためには商談を成功させなければなりません。そこでは建前で話すこともいろいろあるでしょう」と述べました。
ここからいえるのは、社会人は割り切って行動しなくてはならない存在だということです。
たとえば、お笑い芸人として有名なアンガールズの田中さんは「気持ち悪い」を盛んにアピールしています。
でも冷静に考えたら、田中さんは高身長・高学歴・高収入ですし、気持ち悪いという点はビジネスとして過剰に演出しているにすぎません。
つまり、田中さんは「気持ち悪い」を演じる方がキャラクターが強まりますし稼げるので、ビジネスとして割り切っているだけなのです。
嫌いな人との関係や自分自身の仕事について、そういう割り切り方ができる人が社会人といえるのではないでしょうか。
正解があるかないか
それから問題の抽象度とその正解の傾向も学生と社会人ではかなり違います。
たとえば、高校の社会科は「1648年に西欧諸国がウェストファリア条約をむすんだ」というように正解がハッキリしています。
しかし、大学では「日本国憲法のもとで積極的規制と消極的規制はどのように理解されるべきか。判例を挙げながら論ぜよ。」というような形で抽象度が増します。
さらに企業では「日本国内では少子高齢化が進むなかで、我が社のマーケティング戦略はどのような道をたどるべきか」というように唯一の正解がなくなります。
また、高校の各教科の成績は個人の試験結果や授業態度にもとづいて判定されるものです。
しかし、大学ではグループワークが評価の対象になる授業も一部にあります。
さらに企業ではチームや部署、はたまた会社全体という単位で上司や外部から評価を受けます。
社会人は学生のときよりも広い人間関係に取り巻かれる以上、評価の単位も集団単位になりやすいのです。
直接税を支払ってこそ一人前?
次に学生と社会人の制度面の違いである税金について見ていきましょう。
そもそも日本の学生が払う税金は、消費税、酒税、たばこ税といった間接税がおもです。
一方、社会人はそれらに加えて所得税、住民税、固定資産税といった直接税を支払います。
そこでは「直接税をある程度支払ってこそ社会人として一人前(=社会にきちんと貢献できる成人になった)」という考え方があるように思います。
間接税とは、税金を負担する人と税金を納める人が異なる税を意味します。
たとえば、消費者がお店で買い物したときには消費税を負担しますが、その消費税を納めるのはお店の役目。
一方、直接税とは、税金を負担する人と税金を納める人が一致する税を意味します。


社会人は会社人?
ここまで社会人に関する「説」について述べてきました。
ほとんどの人はお気づきでしょうが、それらの説は現役で正規雇用として働いている人にあてはまる率が高いです。
つまり、新卒の就活のときあたりからよく聞かされる「社会人は〇〇でなければならない」という言説は会社人としての規範を身につけてもらうためのものといえます。

ここで問題なのは日本人は「社会人」という規範にうるさい割に労働生産性に乏しいことです。
その原因はさまざまですが、一つ挙げるとすれば日本企業には無駄な会議が多いといわれるように「形にばかりこだわって中身がないしきたり」に縛られていることがあります。
もし、日本人が「会社人」としての規範に縛られすぎなければ、日本企業が成長できると余地はまだまだあると思います。