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知識人の意味と対策【若手と、学生運動を経験した高齢者のズレ】

頭でっかち 社会
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あなたのまわりに尊敬できる知識人はいるか

この社会には知識人と呼ばれる人がいます。

知識人とは、知識の量や思考力の質が卓越した人を意味します。卓越とは、大学教授のレベルくらいが目安になるでしょう。

その意味では知識人は何か特定の職業を表す言葉ではありません。

この記事でいう知識人は、政治・経済・法律など社会系に強い人とお考え下さい。

ここで最初の知識人の定義についてよく考えてみると

  • 「うちの大学の教授は知識量はあるけど思考が偏っているから知識人には見えない」
  • 「Twitterやテレビで目立つ有名な大学教授は本当に知識人なのか疑問」
  • 「大学教授の肩書がない人の中にも知識人レベルの人はいる」

といった意見も出てくるはずです。

筆者としては、高齢の知識人は右か左に強くこだわりますが、20代~30代くらいの知識人は右か左には強くこだわらないと感じています。

今回はこのあたりの背景や対策を解説します。

ところで政治家って知識人なのかな?
高学歴の政治家だとしても正直言ってかなり微妙。そもそも政党っていうのは支持層から意見を集めて、その支持層にとっての利益を実現していく組織。だから、政党・政治家は支持層の利益のためには意見が屁理屈じみていても押し通している例がある。こんなのは知識人の態度とは言い難い。

学生運動がなくなったわけ

思うに、高齢の知識人が右か左のポジション(おそらく左の方が多い)を強く表すのは、彼らが若かった頃の学生運動が大きく影響しています。

学生運動とは、おもに大学生が社会への大きな不満を表したり、その不満を根本的に改良していく運動のこと。

この学生運動は1960年代~1970年代の日本社会ではそこらじゅうで起きていました。

しかし、ここであなたに問いたい。最近、あなたは派手な学生運動を見ましたか。

ビラ配りくらいは見たことがあるでしょうが、ほとんどの人は学生運動を見ていないはずです。

京都大学やSEALDs界隈ではそれらしき運動がちょっとありましたが、昔の学生運動に比べたら規模と件数はすこぶる小さいでしょう。

それではなぜ1960年代~1970年代は学生運動が盛んだったかといえば、

  • 価値観が現代ほど多様ではなかった(学生が一致団結するだけの価値観の共有があった)
  • 社会主義にリアリティがあった
  • 現代はネットの掲示板やSNSが不満の捌け口になっているが、当時はそれがなかったから派手な実地行動で表すしかなかった

といった理由があります。

社会主義とは、資本主義が生み出す問題を根本的に解決する思想・運動を意味します。

資本主義が生み出す問題とは、富裕層と貧困層の格差や解雇などをいいます。

こういう問題は徹底的に解決しようとすると、政府の力が大きくなりすぎて腐敗し国は崩壊するというのが社会主義国の歴史であるため、社会主義の力はだいぶ弱まりました。

しかし、現代の高齢の知識人は自分たちが若かったころの学生運動の姿勢をよくも悪くも忘れていません。そのため高齢の知識人は左派的な主張を訴えるというわけです。

これに関して現代でも残っている社会主義国といえば、北朝鮮、中国、ラオス、キューバくらいのものです。このうち中国は資本主義的なところもありますし、キューバは改革が進んでいます。

そうなると、現代の若者に社会主義について聞いても「わからない」「何それ?」「北朝鮮みたいな感じで危ない」といった意見が多くを占めるでしょう。

ここでいう若者とは、ソ連が崩壊した1991年以降に生まれた人を目安にするとわかりやすいはず。

つまり、若い世代は物心がついたころには社会主義国が滅んでおり、さらに残る社会主義国も風前の灯火のため、左派的な意見(社会主義的な意見)にリアリティを感じ取れないのです。

虚無は幸か不幸か

知識人や高学歴の若者といえば、かつては左翼思想がスタンダードでしたが、社会主義国が弱い現代ではそんなことはないのです。

こういった背景がありますから若者は中立に近くなったのです。これは若者が右傾化したというより中立的になったという方が妥当だと思います。

それをよく表している人が、若手の知識人として有名な落合陽一さんでしょう(専門はメディアアート)。

彼の社会に対する意見は、右とか左というよりもITが浸透した将来を虚無的に予期しているという感じです。

左翼は格差や解雇がない社会、右翼は天皇中心の秩序ある国家を求めますが、落合氏の主張は社会の変化(IT化やグローバリゼーション)に淡々と対応すべきことを迫っているような感じがします。

その意味では虚無的な現実主義といえます。

正確な統計はありませんが、若い世代ではこういうタイプの意見は増えていると思います。

東大の変質

かつて旧帝国大学といえば左翼的な雰囲気が強いものでしたし、今でもそういう雰囲気は少し残っています。

文系の卒業生の進路も官僚(上級国家公務員)や財閥系企業が多かったものです。

しかし、今や東京大学の卒業生の中でも上位層の就職先は官僚ではなく、入社難易度と給料が高くて有名な外資系コンサルや投資銀行になっています。

官僚になる人も未だに多いけど、上位層は外資に流れている模様。

外資系コンサルや投資銀行はサラリーマンとしては最高レベルの給料を誇る、いわば資本主義の勝ち組です。転職市場でもコンサル出身者は強いです。

つまり、東大生は高い待遇にひかれているといえます。

そのうえ、もし東大の卒業生が日本のために働きたいとしても「それは官僚でなくてもできる」あるいは「官僚よりも民間企業の方がやりやすい」と考えている節もあります。

これも知識人層の価値観の多様化を反映しています。

どの知識人についていくべきか

最後に知識人に関する対策です。

これは、どういう知識人についていけばよいのかという話です。

結論からいうと、特定のだれかばかりを信奉するよりは、いろんな人を比べて自分なりに取捨選択するのが妥当かと思います。

これは医療でいうセカンドオピニオンみたいなものです。

医療のセカンドオピニオンとは、自分の担当医(主治医)以外の医者に意見をもとめること。

というのも現代は情報量が多く、また変化も激しいです。

仮にあなたが特定個人ばかりを信用しているとして、その特定個人が何でも知っている欠点のない人なら問題ないのですが、現実にそんなことはありえません。

もし、特定個人ばかりを信用していると時代に取り残されてしまう危険があります。

そこで時代や場面に合わせて取捨選択する力がもとめられています。

何か一つの思想や個人ばかりを信奉し続けるのがもっとも楽でしょうが、そういう時代は終わったと思います。

これが現代の虚無性の正体でしょう。

個人的に筆者は、東大出身の予備校講師である林修先生を知識人として一目置いています。林先生は若手ではなくまた半ばタレントのようですが、感性はよい意味で若いですし、思想のバランスもよいと思います。

なお法学の分野では井上達夫先生、経済学の分野では安田洋祐先生の言論に公平感があると感じています。

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