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大学へ行くべきか行かないべきかを文理経験の物書きが公平に解説

東大本郷キャンパスの塀 生活・教育

文系と理系の経験からいえること

私は大卒者です。在学中は総合政策学部という文系と理系が融合した学部に所属していました。

私はこの学部で政治経済や法律といった社会科学をメインに履修しながらも、プログラミングや生命科学といった理系分野も履修していました。

今回はそこでの経験をもとに大学へ行くべきか行かないべきか公平に考察・解説します。

私個人の意見としては、進学する余裕のある人は進学・卒業した方がいいと思いますが、ケースバイケースの面があることも事実です。

大学には形式的な価値と裁量的な価値がある

まずあなたに知ってもらいたいのは、大学(大卒)には形式的な価値と裁量的な価値があるということです。

まずは形式的な価値についてです。

大学の形式的な価値

  1. 他人に自分は大卒だと示すことができる(他人から形式的には能力のある人間と見られる)
  2. 大卒資格の試験を受けられる
  3. 企業の採用について大卒資格の募集に応募できる
  4. 大卒格の給料がもらえる

形式的価値とはすべての大卒者が共通して得られる機械的な価値と考えてください。

まず1.は、どんな大学を卒業していても大学であることに変わりないので、自分は大卒と他人に示すことができるという肩書としての価値です。

大卒には社会的な信用がありますから、大卒という肩書からは自己満足も得られるでしょう。

その大学への入学が難しいのであれば、初対面の人からも「この人は大学に入るために努力したんだな」と見られます。

次の2.(大卒資格の試験を受けられる)は、たとえば医師国家試験や薬剤師試験を受けるには医学系や薬学系の大卒資格が必要だということです。

そのため、医師や薬剤師になりたいという人は現行制度では何が何でも医学部医学科や薬学部に入って卒業しなければなりません。

ちなみに高卒でも司法試験や公認会計士といった文系の難関資格試験を受けることは可能です。

ただ、高卒で司法試験に合格することはかなり難しいため、法科大学院経由での合格をめざすのが普通です。

公務員についても高卒者が大卒相当の公務員試験を受験することはできます。

しかし、国家総合職のような難関試験の場合、筆記試験をパスできたとしても東大レベルの学歴でないと内定をとるのはかなり難しいです。

したがって、難関の国家公務員内定を狙う場合、上位大学に入るところから勝負は始まっているといえます。

次に3.(企業の採用について大卒資格の募集に応募できる)についてです。

これはどこでもいいので適当な有名企業のホームページを検索してそこの採用情報を見てください。

採用情報の募集要項という欄には「四年制大学または大学院を既卒・もしくは20〇〇年までに卒業見込みの方(新卒)」と書いてある場合が多いはずです。

大企業の総合職への応募は四大卒が条件になっている場合が多いです(現業職はそうでもない)。

つまり、大学を卒業あるいは卒業見込みでない人は、大卒が要件になっている企業の職種には応募することができません。

日本一の偏差値を誇る兵庫県の灘高校を卒業していても、大卒要件を満たしていなければ応募することができないのです。

この時点で高卒者の内定率は0%です。応募資格すらないのですから当たり前といえば当たり前です。もし経歴詐称で入ると普通は解雇処分をくらいます。

インターンシップ(職業体験)でさえも高卒者やフリーターは不利です。

一方、大卒者は、その企業が実際には高偏差値の大卒者しか受け付けないとしても応募自体はできます。

体育会や課外活動で特殊な実績があれば、学歴エリートでなくても内定をとれるかもしれません。

4.(大卒格の給料がもらえる)もそれと同じ形式的な価値です。

これは会社や公的機関に入った後、高卒者であれば高卒用の給与体系が適用され、大卒者であれば大卒用の給与体系が適用されるという価値を示したものです。

で、日本社会の場合、大学に入学して卒業するまでには数年の時間と数百万円の費用がかかるとしても、それでも大卒者の給与体系の方が平均的には上です。

つまり、サラリーマンの場合、生涯年収は大卒者の方が多いのです。

また大卒として入った方が入社後の出世や学閥に関しても有利です。

そのため「大学にはなんとなく行きたくないけど将来のためには行った方がいいや」という考えの人が多くいるわけです。

たまに大学の学費だけを見て大学のコスパ(費用対効果)は悪いといっている人がいますが、それは誤りで卒業後の給与体系を比べないと真の意味でのコスパを計れません。

ちなみに私は政治経済の本の出版経験があります。出版には資格は必要ありませんが、もし私が高卒だったら出版社は契約してくれなかったと思います。つまり、学術的な本を出版したいのなら大卒でないと契約しにくいというわけです。

フィクションの出版は学歴はほとんど関係ありませんが、ノンフィクションではかなり経歴も見られるのです。

裁量的な価値

次に大学の裁量的な価値について説明します。

裁量とは自分なりに調整できるという意味で、経済学や法学ではかなり重要な概念です。

ここでのポイントは、さきほどの形式的な価値はすべての大卒者が共通して得られるものですが、以下の裁量的な価値は各個人の自由に任されているということです。

それは次のとおりです。

  1. 自由な時間
  2. 広い交友関係
  3. サークル活動
  4. 深い探究

まず1.の自由な時間についてです。大学生は自由な時間が多いとされます。

長い人生で圧倒的に自由な時間を確保できるのは大学生の時期くらいのものです。社会人になると仕事や家庭の事情に縛られるからです。

フリーターも自由ですが、将来が不安でしょう。

この点、日本の大学生は新卒というゴールデンチケットを確保したまま自由を謳歌できるのは大きいです。

ただ、大学生はヒマそうに見えても自分なりに授業を多く詰め込んだり忙しいサークルや学会などに所属すればそれなりに忙しくなります。

大学生は忙しさを調節できるのです。

人間は自由すぎると自由の価値を忘れてしまいますので適度な忙しさは必要かもしれません。

次は2.の広い交友関係についてです。そもそも高校の1学年の人数はマンモス校でなければ150人~500人くらいでしょう。

しかし、大学はそれなりに大きな規模であれば1学年に2000人から1万人くらいの学生がいます。

また大学には全国から志望者が集まりますから、入学者の出身もさまざまです。

私は首都圏出身で首都圏の大学に入るなど、それまで関西圏の人たちと接点がなかったため大学で出会った関西出身の人たちは新鮮に映りました。

なかには留学生もいたり有名企業幹部のご子息がいたりしますから、そこで築いた交友関係は卒業後も役立ったりします。

当たり前ですが、人脈の豊富な大学を選ぶか否か、そして実際にどの程度の交友関係を築くかはあなたの自由です。

3.のサークル活動もなかなかの魅力です。高校の部活は20くらいでしょうが、ある程度大きな大学で実に多種多様なサークル活動があります。

たとえば東大にはLEGO部が、慶大にはペン回し研究会という有名なサークルがあります。

私は高校時代はテニス部でしたが、大きな大学だとテニスサークル(通称:テニサー)だけで10コ以上はあります。

テニスとは名ばかりで遊んでばかりのテニサーもあれば、体育会に近いレベルにあるガチサークルもあります。

中高ではどこかの部活に入らなければならない空気があったが、大学のサークルは入らないのも自由だし、掛け持ちもありだよ。

最後に4.の探究です。大学は本来、研究機関ですので探究がメインです。

文系だと、哲学、法学、経済学、政治学、文学、教育学といった分野が探究の定番です。

履修制限がかかっている場合もありますが、中にはマンガや将棋などについて学べるスポット授業もあります。

履修制限とはテストや抽選をパスした者だけが履修できるということです。

私の在籍していた学部では、プレゼンテーション技法やライティング技法などビジネスライクな授業もありました。

また、授業の一環として外部の有名人に講演してもらった出来事も印象に残っています。

私の場合は、河野太郎議員、石原伸晃議員、星野リゾートの星野社長、スズキ自動車の鈴木会長、山田ズーニー氏、作家の内館牧子氏などの話が印象に残っています。

政財界で活躍している方々の話を間近で聞けるとともに、場合によっては直接質問できるというのはとても大きな経験になります。

また堅苦しい座学だけでなく、池のほとりの芝生で語学授業を受けたり、電気自動車の自動運転実験会に行ったり、GPSの探査実験に箱根に行ったこともありました。

もちろん、講義する教授はその道の専門家ですし「質問歓迎」ですから深い知見が得られます。

とくに文系では友人とつるんで工夫すれば授業やテストについてかなり楽をすることも可能。これを調節するのもあなた次第。
高校生の頃は授業をサボると先生に叱られたはず。でも大学では学生が講義をサボっても教授は叱らない。単位が足りなければ留年するし、成績が悪いと就活に響くというだけの話。
単位不足だったときに教授に泣きついても単位をもらうのは難しい。「今までサボってきたせいだ」あるいは「テストやレポートの点が低かったから不可にした」といわれるだけ。また盗用やカンニング(チート)みたいな不正には厳しい処分が下される。
つまり、大学生は自由と自己責任の度合いが大きくなるってことだね。

反対派の主張

ここで「自分は医師とか弁護士みたいな専門職をめざしているわけではないし、大企業の総合職にも興味ないから大学に行かなくてもいいかも」という考えの人が出てくるでしょう。

あるいは、さきほどの1~4のような形式的な価値に対する反発をもつ人もいるはずです。これを反対派と呼ぶことにします。

さきほど説明した大卒の形式的な価値

  1. 他人に自分は大卒だと示すことができる
  2. 大卒資格の試験を受けられる
  3. 企業の採用について大卒資格の募集に応募できる
  4. 大卒格の給料がもらえる

反対派は「上の1~4みたいな価値は形式的すぎる。数百万円の学費(お金)や若い時期の数年間をもっと有効に使うべきだ」と主張します。

そこで反対派が主張する大学が無駄だという根拠は以下のとおりです。

  1. 大学(とくに私大)の学費は高い
  2. 大学の授業(とくに文系)は役に立たない
  3. 大学生活における飲み会やサークル活動は人生の浪費

確かに大学の学費は高いですし、授業の中には役に立たないものもあります。

さらに飲み会やサークル活動は無駄ともいえます(無駄は楽しかったりますが)。

ここで注目していただきたいのは、大学教育に否定的な主張をする高卒者(大学中退含む)は有能な個人が多いということです。

どういう主張かというと「大学生が役に立たない授業や無駄なサークル活動に勤しんでいるうちにオレは頑張って実力をつけて結果を出した。だから大学を卒業しなくてよかった」というものです。

東大を中退して起業して上場まで果たしたホリエモンはその典型です。

サラリーマンを辞めてブロガーとして成功しているイケハヤさん(早大卒)も大学進学に否定的です。

職人や芸能人など組織として働くのではなく個人の実力を軸にして働く人は反対派タイプがおそらく多いはずです。

ちなみにキーエンスの滝崎氏とZOZOの前澤氏は高卒、MSのビルゲイツ氏とFBのザッカーバーグ氏は大学中退者です。大成功した起業家は意外と大学を卒業していなかったりするのです。
(ホリエモンは大学教育に否定的ですが、他の人が大学教育をどう思っているかはわかりません。)

ホリエモンはかなり批判されている人間ですが、起業して上場した以上はかなり有能な人でしょう。起業した会社を上場させるというのは思ったよりも難しいからです。これは私が起業に失敗したからいえることです。

また、さきほど「企業の大卒者募集では高卒者は応募できない」といいましたが、すごく有能な高卒者ならば特例として内定をとれたり、高卒枠で入社したあとに特別扱いされる場合もありえます。

しかしというか当然というべきか、ここまで実力のある高卒者はめったにいません。

また大学をやめて起業や芸能の道に進むのはかなりの勇気が必要です。そのため、ちょっと非現実的だといえます。

大学に在籍しつつ起業や芸能の道を試すこともできるし、学歴は起業や芸能がうまくいかなかったときの抑えにもなるから、わざわざ大学をやめなくてもいいと思うけどね。

現代では手軽に知識が得られる

さらに反対派は「現代ではネットがあるから大学の教室で授業を受ける必要はない。必要な情報はネットや本から学べばいい」といいます。

確かに今の時代、ネットや本からは実に多くのことが手軽に学べますし、わかりやすさもなかなかのものです。

とくに私が大学で受けていたプログラミング教育や英会話などは、動画コンテンツという形で今後も充実していくと思われます。

高校や予備校でも動画学習がふえているように、自宅でやっても大学でやっても変わらない分野については今後も動画学習が増えるはずです。

イケハヤさんにとって大学教育は役に立たなかったから、彼は大学進学に否定的なのだろう。しかし、彼の今の生活を支えている思考力や文筆力は大学受験時に培われたものが大きい。だから、彼は大学教育を否定しても勉強自体は否定していない。

それでも形式的な価値は大きい

ただ、大学の授業や学費について無駄があったとしても、大学を卒業すれば大卒区分の資格や職種に応募できますし、就職すれば給与は大卒区分が機械的に適用されます。

これはとても大きなメリットです。

高卒者が「自分は大卒者と同じ、いやそれ以上の能力がある。大卒なんてのは見せかけであって実力を表すものではない」と人事に叫んでも、ぶっ飛んだレベルでなければ高卒者用のルールが適用されるだけです。

つまり、形式的な価値のメリットにおいては大学の授業が役立つか否かは関係ないといえます。大学名と大卒資格そのものが重要なのです。

このように普通のサラリーマン組織で働くのなら大卒の方が有利ですから、形式的な価値を重視する人は現実的だといえます。

心変わりの問題はどちらが深刻か

さて、人間の心理は複雑ですから「やっぱり大学に行っておけば(卒業すれば)よかった」あるいは「大学に行くんじゃなかった」と思うことがあります。

ただ、大学に行っておけばよかったという後悔と、大学に行くんじゃなかったという後悔では前者の方が深刻でしょう。

よく「やらないで後悔するよりやって後悔したほうがいい」というように、とりあえず行ってみて後悔する方がまだ軽症な感じがするからです。

それに長い人生のなかで大学に行けるだけの時間にめぐまれるタイミングはそんなにありません。

ですから、行けるときに行って経験をつけるというのもありでしょう。

また、大卒の方が就ける職業の選択肢は広がります。

現実的な実利を重視するなら大学に行った方がよいのです。

時代の変化

最後に、ここまで述べてきたことはこれまでの時代に沿った説明です。

そのため、これからの時代は事情が変わることもありえます。

たとえば、日本企業が定義する新卒の範囲は今までよりも広くなりつつあります。

また日本企業は外国人の採用比率を高めています。

このように社会が変化する中で、ご自身が幸せに生きていくためにはどうすればいいのか考えていただけたらと思います。

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