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ゲームに課金は無駄とは言い切れないが将来を想像しながら遊ぼう

さまざまなゲーム 生活
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課金ゲームをやっていた時期もある

筆者がもっとも好きな部類のテレビゲームはファイナルファンタジーの4~10、ドラクエの3~7といったRPGです。

テレビゲームは和製英語で正式にはビデオゲームといいます。

しかし、いわゆるソシャゲやネトゲについて少しだけ課金していた時期もあります。

生涯での合計金額はたぶん1万円くらいなのでライトユーザーの部類でしょう(おそらく今後は増えません)。

また、現在では将棋がリアル対局としてもオンライン対局としても好きです。

それらの経験から考えて、「ゲームへの課金」は無駄といえるのか語ってまいります。

課金とは本来、ゲームの供給側が使う用語なのですが、この記事では消費者がゲーム会社にお金を支払ったという意味で使います。

経済学の発想が参考になる

まず経済学的にいうと、人間は自分の効用(≒満足感)を満たすために生きています。

効用を満たすとは、美味しい物を食べるとか、楽しいゲームをプレイ、恋人に一緒にいることなどです。

当たり前ですが、何をもって食べ物が美味しいかまずいかはそれぞれ違いますので、効用の中身は主観的です。

恋人についてもいない方がよいと考える人だっているでしょう。

こういった発想でいうと、他人から見たらつまらないゲームであっても当人が満足すれば問題ないことになります。

人間の価値観は変わる

ところが、人間というのはとても複雑な生き物でして「若いときに課金しながらゲームで遊んでいたときは満足していたけれど、今思うと馬鹿だった」というように価値観が変わります。

この場合、過去の満足は現在では後悔へと変わるわけです。

逆に、たとえば若いころに猛勉強をしていて当時は苦痛だったけど、今はそのおかげで大成したから満足というパターンもあります。

つまり、効用を真の意味で使いこなすには、将来を想像しなければならないのです。

ゲームへの課金に年齢制限があるのは、子どもはお金がないということもあるけれど、お金の重みや将来について想像力が欠けているからともいえる。
大半の親は時給800円から5000円くらいで働いているはずだけど(賞与や社保の恩恵も込みで)、子どもはお金を稼ぐ苦労がまだわからない。それなのに湯水のごとくゲームにお金を使われたんじゃ親はたまらないよね。

なお私の場合はゲームに課金した額は小さい方であり、またそれなりに楽しめましたのでとくに後悔していません。

しかし、昔の課金額が多くて今は課金ゲームをやめているという方は後悔の度合いが大きいのかもしれません。

ゲームがなくなってもよい思い出が残ればOK?

さて、ゲームへの課金に批判的な意見として「サービス(ゲーム)が終了したら何も残らない」があります。

この理論でいうと、コンシューマーゲーム(家庭用ゲーム機)も売り払うなどして手元からなくなったら何も残りません。

データが残った残らないは関係なく、プレイヤーが満足したか否かが重要だと思いますが、これに関してちょっと興味深いのが将棋ゲームの存在です。

データがなくなっても問題ないゲーム

そもそも将棋は実際の将棋盤はもちろん、無料のゲームサイトを使ってもできます。

しかし、有料の将棋ゲーム配信を使って対局すると、派手なエフェクトが出たり、無制限で対局できたり(無料版だと有限)、棋士のアバターを集めることができたり、プロに指導してもらえたり、大会に参加できたりするのです。

これは将棋ファンにとっては結構な魅力があります。

当たり前ですが、こんな将棋ゲームについてもゲーム会社が配信を打ち切れば集めたアバターは無になります。

しかし、それだけ将棋をやっていれば将棋が好きになりますし将棋の実力も上がります。これは立派な財産です。この財産を活かして実際の将棋大会に出るのもよいでしょう。

つまり、将棋ゲーマーにとっては将棋ゲームが配信をやめても大して問題がないのです。

ポケモンGOやドラクエウォークが配信修了になったとしても、そこで得られた健脚や歩く習慣、地理の知識、仲間などは消えないという考え方もできる。

この点、ゲームの中には配信が終わったら実社会では何も活かせないようなものもあります。

活かせる活かせないは関係なく、それでも当人が満足できればいいのですが、自分が高齢者になったときを想像するとゲームへの見方が変わると思います。

ゲームに関する将来を想像しながら楽しく生きましょう。

人間は若いときには肉体的な満足をもとめるが、老いると精神的な満足をもとめる傾向にある。
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