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生物・食事

捕鯨やイルカ漁に反対・賛成する理由のすべてをお話しします

2019年4月15日

英語でクジラは「whale」、そして捕鯨は「whaling」といいます。

YouTubeで捕鯨を検索すると

上の画像のように「whaling」とYouTube(地域設定はアメリカ)の検索欄に入力すると、サジェストにトップで出てくるのは「in japan」「japan」です。

つまり、英語圏の人(≒西洋人)は捕鯨と日本をむすびつけて考えることに関心があるとしか思えないのです。

イルカ漁についても似たようなものです。分類学からいってもイルカとクジラはとても近いですし(イルカは小さなクジラ)。

捕鯨やイルカ漁に関して日本は目の敵にされている?

そのサジェスト検索では「日本人による捕鯨は残虐」という感じの動画が上位に表示されます。

ここで捕鯨やイルカ漁についていろいろ反論したい日本人は多いでしょう。

そこで以下にクジラとイルカの食用捕獲に対する反対意見と賛成意見をわかりやすくまとめました。

まずは捕鯨反対派の意見から見ていきましょう。反対派は欧米人に多いと見られます。

ちなみに筆者は捕鯨に賛成しています(絶滅危惧種はダメですが)。

すべての意見を冷静に考慮すると賛成派の意見に説得力があると考えるからです。

なぜ捕鯨やイルカ漁に反対するのか:反対派の理由

反対派が掲げやすい理由は以下のとおり。

  • クジラやイルカは知能が高いので食べるのは野蛮
  • 水族館で展示するために経由する生体販売も残酷
  • かわいいから捕ってはいけない
  • まずいのでわざわざ食べるべきではない。他に食べられるモノがあるでしょ
  • クジラやイルカを捕って食べるのは残酷で恐ろしい
  • クジラやイルカの頭数は減っている
  • 観光資源としての経験や配慮からクジラを守りたい
  • クジラは飼えないため食べてはいけない
  • 集金やストレス解消のために捕鯨反対を展開しているだけのこと
  • 海に生きる哺乳類は神秘的だから保護すべき
  • 捕鯨に反対する西洋人の価値観は普遍的に通用する

この先で述べる各項目(捕鯨反対の理由)の下にある「~」はツッコミどころや補強意見を意味します。

基本的に捕鯨反対派の理由は感情的な傾向があります。それはイルカ漁の反対派とほとんど同じようなものです。

クジラやイルカは知能が高いので食べるのは野蛮

水族館でクジラやイルカは調教師から仕込まれた芸を見せるように、クジラやイルカは知能が高い(人間を理解する)というイメージがあります。

サルの類を食べる民族がほとんどいないのも、サルは人間に近く、また彼らの高い知能を尊重しているからではないでしょうか。

一昔前の中国人は猿脳を食べたけど、これは例外的。
イルカを食べる日本人もかなり少数派だよね。これは好き・嫌いというよりも一部の地域でしか出回っていないことが大きいと思う。
人間の食習慣は成人までに形成されるところが大きいから、育った環境の差は大きいだろうね。

最近ではイルカやクジラを水族館で展示するのはかわいそうと主張する人もいます。

これは、人間を無理やり檻に押し込むのは虐待であるように「イルカやクジラを狭い水槽に入れるのはかわいそう」という主張。

つまり、反対派はイルカやクジラを擬人化しているところがあるのです。

水族館で展示するために経由する生体販売も残酷

イルカ漁に反対する勢力は、食べることはもちろん、水族館で展示するために経由する生体販売も残酷だと批判します。

これについて注目されるのがWAZA(世界動物園水族館協会)とJAZA(日本動物園水族館協会)の関係。

WAZAは日本のイルカ漁(追い込み漁)をかなり批判しており、そのイルカ漁から展示用の生体を購入することも禁止しているからです。

要するに動物園・水族館は野生で捕えた生体を購入・展示していいか悪いかという点が争われているというわけ。

WAZAやJAZAに加盟していない動物園・水族館もあります。この場合、イルカ漁からイルカを買うことができます。

ただし、JAZAとしてはWAZAから追放されたら他の貴重な動物を取引・展示するのが難しくなるため従う方がメリットが大きいです。

もし自分がイルカだとしたら、広いけれど毎日がサバイバルの自然(大海原)にいるのと、狭くて芸を覚えさせられるけど餌が安心してもらえる水族館にいるのだったら、どっちが幸せなんでしょうかね。

それはイルカにとっても人間にとっても判断が難しいところ。

かわいいから捕ってはいけない

確かにクジラやイルカはかわいいかもしれません。欧米人がつくった芸術作品でもクジラやイルカはポジティブな感じで描かれています(例外的にディズニーのピノキオでクジラは悪役)。

各国のスポーツでもドルフィンズやホエールズなんていうチーム名はよくありますが、ブタを由来としたピッグスなんていうチーム名は聞いたことがありません。ドルフィンやホエールはそれだけポジティブなイメージが確立しているのです。

ラッセンによるクジラやイルカを描いた美しい現代アートが捕鯨反対派を思想面で後押ししているのかも。日本の『ドラえもん』に出てくるイルカも優しくてかわいい正義キャラだし。「かわいい」は正義なのかな?
欧米人の聖書でもクジラは慈悲ある動物として描かれている(=クジラを人間に近い知的な存在と見なす)。こういう思想や芸術の力は意外と強い。反対派は理屈だけで動いているわけではないのだ。
そういえばサメも『ジョーズ』のせいで人を襲う恐ろしい生き物というイメージがあるけど、大半のサメは怖くないらしいね。

しかし、世の中にはブタをかわいいと思う人だっています。ブタもそれなりに賢いといわれている生き物ですが、聖書でブタはネガティブに書かれています。

ここで「ブタは食べてもいいけど、クジラやイルカは食べてはいけない」といったら矛盾していると突っ込まれます。

つまり、クジラもブタも食べる、あるいはどちらも食べないという行動こそ説得力があるでしょう。

ちなみに野生のイルカは共食いや子殺し、集団リンチにおよぶことが確認されています。イルカは人工的なイメージや水族館の中では賢くてかわいいのでしょうが、野生では荒々しいのです。

イルカ漁が残虐だと思う人は、まず共食いや子殺しにおよぶ野生のイルカを批判してみてはどうでしょうか。

イルカは水族館の中では賢くてかわいいけど、野生では共食いや子殺しにおよぶなど荒々しい。それでもって反対派はイルカ漁やイルカを水族館に押し込めることに抗議する。これは矛盾していない?
イルカの賢さや穏やかさは水族館の中でこそ発揮されるのに、水族館に押し込めることにも反対するのだから矛盾しているね。イルカは野生では荒々しくなるというのに。
捕鯨反対派はクジラやイルカのよいところだけを見るのであって、マイナス面を見ていないっぽいね。

「まずいのでわざわざ食べるべきではない。他に食べられるモノがあるでしょ」

個人的にはクジラの生赤肉はマグロと牛肉の中間という感じの味でおいしいと思います。

クジラを給食(揚げ物)として食べた世代は「固い。あまりおいしくない」という印象が強いようですが、それから保存技術も進んだことで生肉をおいしく食べられるようになりました。

なお市場に出回るのは赤肉やベーコンがほとんどですが、専門店では希少な尾身も出回ります。

最近の日本では鯨肉の需要が減っているとのこと。とくに若年層では食べた経験のある人が減っているようです。

これは20世紀後半で反捕鯨が盛り上がったために鯨肉が給食やスーパーマーケットに出回らなくなり、食べる機会がなくなったことが原因でしょう。

昔は日本人が刺身を食べることは「気持ち悪い、野蛮」と思われたものだが、現在では受け入れられつつある。

海外で生卵を食べるのは相変わらず危険だといわれているね

クジラやイルカを捕って食べるのは残酷で恐ろしい

クジラやイルカを捕って食肉として解体する際には大量の血と臓物があふれ出てきます。これにショックを受ける人はかなり多い模様。中にはこれを「非人道的」と呼ぶ政治家さえいました。

しかし、それをいうならブタやウシの屠殺場も同じようなものでしょう。スーパーマーケットで売っている肉はキレイな感じがしますが、あれは業者のおかげに他なりません。

屠殺場とは食肉工場のこと。読みは「とさつじょう」。要するに家畜を殺して食肉に仕立てる工場です。

にもかかわらずブタやウシの屠殺はスルーして、クジラやイルカが血まみれになっているところばかりを強調するのは偏っています。

まあ家畜も一切食べない人が批判するのならまだ説得力があるでしょうが。

個人の釣りでとった魚を〆るくらいなら小さいから抵抗はないけど、クジラみたいな大きな哺乳類が解体されるシーンはショックかもね。
屠殺場で家畜が死ぬまでに苦痛を受ける時間は巨体のクジラよりも短い。捕鯨の際はなるべく苦しまないように捕鯨砲で即死させるんだけど、それでも即死させられない場合もある。このあたりも家畜とクジラの差別に影響しているっぽい。

〆る(しめる)とは、とった魚を殺して血を抜いて鮮度を保つこと。

ちなみに人間への死刑はもちろん、魚の活〆、ペットの安楽死、家畜の屠殺はなるべく短く行うのが人道的であって、拷問のごとく長々と苦しめるのは非人道的とされています。

中には殺すことすべてを非人道的と見なす勢力もいますが。

クジラやイルカの頭数は減っている

実際には減っている種もあれば、増えている種もあります。

具体的にはナガスクジラ(大型種)は頭数が少ない一方で、ミンククジラ(やや小型)は頭数が多い模様。

クジラやイルカは全世界に数十種類いますが、捕鯨反対派はクジラ全体をひとくくりに神聖視している感じです。

ちなみにブタは一回の出産で10頭以上を産む。でも、イルカやクジラは1回の出産では1頭が普通。つまり、イルカやクジラの子どもは希少感がある。
1回あたりの出産数を考えるとイルカやクジラの方が人間に近い感じがするね。クジラやイルカは人間みたいに群れをなすから家族感もあるし。

観光資源としての経験や配慮からクジラを守りたい

四方を海に囲まれた国オーストラリアではホエールウォッチングが盛んです。

幼いころからホエールウォッチングに親しんでいると「クジラって神秘的で素晴らしい。だから捕ってはいけない」と考える人たちが少なからずいます。

観光戦略的にも「気軽に食べられる食用動物」というイメージよりも、「人間が食べてはいけない神聖な動物」というイメージで展開した方がプラスになるでしょう。

イルカと人間は一緒に泳ぐこともできるから、それで親近感をもつ人は多そう。

クジラは飼えないため食べてはいけない

「ウシやブタは家畜として人工的に殖やせるため食べてもいいが、ほとんどのクジラは飼えないから食べてはいけない」というのはよく聞く論法です。

しかし、飼えないモノは食べてはならないというのならタコも食べてはならないはず。

タコもブタも人間にとって醜く見えるから不遇な扱いなのかな。トランプのポーカーの役なし(ノーペア)をブタと呼んだり、タコを悪魔と見なしたり、なんかひどい。
確かにタコを悪魔と見なす風潮は欧米であったね。今は改善しつつあるみたいだけど…
タコの養殖はかなり難しいというのが定説。

集金やストレス解消のために捕鯨反対を展開しているだけのこと

「捕鯨反対運動をやると応援のごとくお金が集まり、日本を叩くとストレス解消になるから反対運動を展開している」というのも、十分ありうる理由です。

ただ、個人的には捕鯨反対派は上層部と下層部では心理や目的が異なると思います。

おそらく、上層部は集金や関連団体とのやり取りなど政治的な都合を優先していると感じます。

一方、大衆は「クジラは賢くてかわいい生き物だから守らなくちゃ!」みたいな感情にもとづいて反対しているでしょう。

戦争、環境問題、山火事をめぐる報道ではかわいい動物や子どもが無残な姿になっているところが写真になりやすい(ブタは絵にならない)。
その方が大衆の感情に強く訴えることができるね。でも、そういう被写体は捏造の場合もあるって聞いた。
たとえばオーストラリアの山火事ではコアラが無残な姿になっているところが映った。爬虫類よりもコアラの方が寄付金はたくさん集まる。
日本の有名人としても爬虫類よりもコアラに寄付した方が好感度は上がりそう。ブタではこうは行かないでしょ。

海に生きる哺乳類は神秘的だから保護すべき

確かに海も海中生物も現代の科学力をもってしてもすべて解明できていません。

そして、陸上生物もまだ解明されていない部分はたくさんあります。

したがって、この理論を厳密に適用すると肉魚はすべて捕獲禁止でないと筋が通りません。

すべての生物の祖先は海で生まれ、その一部が上陸してさらに進化した。しかし、どういうわけかクジラやイルカの祖先は海に戻った。ここに神秘を感じる人は多い。

捕鯨に反対する西洋人の価値観は普遍的に通用する

昔のキリスト教徒は正統から外れた人を異端と見なし差別していました。それが激しく燃え上がったのが宗教戦争です。

現代の捕鯨論争もこれと同じで、クジラやイルカをとらないことが人として正統で、食べることは異端・野蛮と見なす思想が捕鯨反対派の界隈(とくに西洋)にはあります。

そして洋服、英語、洋式トイレ、洋食器は世界中に広まったように、西洋人は西洋の文化や思想こそ普遍的に通用すると考えがちです。

哲学、法学、医学、経済学、物理学のような大学で学ぶ学問もすべて西洋が発祥の地。

しかし、何から何まで西洋人の価値観を優先してもいいわけではないでしょう。

大体、黒人奴隷を大量に酷使したり、先住民を大虐殺した人たちが人道的な価値観を主張しても説得力に欠けます。

ローマカトリック教会が天動説を放棄して地動説を認めたのはなんと1992年のこと。
かなり最近のことだね。
西洋は学問や近代科学の発祥の地だが、キリスト教の権威を優先する考え方が根強く残っている。

なぜ捕鯨やイルカ漁に賛成するのか:賛成派の理由

クジラ

次に賛成派の理由を見ていきましょう。

  • 伝統だからこれからも続けたい
  • 人間は他の動植物を食べないと生きていけない
  • クジラを利用し尽くすべき
  • 西洋人の倫理には疑問が残る
  • ノルウェーやアイスランドによる捕鯨はあまり批判されないのはおかしい
  • 牛肉や豚肉を無駄に多く消費している民族は許されるのか
  • 捕鯨反対は個人の信仰としてはありだが他人に強制すべきではない
  • 過激な捕鯨反対派の行動には疑問を覚える
  • 海洋資源のバランスを保つためにも捕鯨が必要

基本的には食べるということを公平に考える必要があります。

伝統だからこれからも続けたい

世の中にはよい伝統もあれば悪い伝統もあります。

そのため「伝統だから捕鯨を続けるべき」というのは根拠としては弱い感じがします。

筆者としては伝統云々は関係なく、現代人にとって合理的か否かで考えるべきだと思います。

人間は他の動植物を食べないと生きていけない

人間を含めたあらゆる生物は、他の動植物を食べなければ生きていけません。動植物を食べることが反人道的というのなら、すべての人間は滅びなければなりませんが、これはかなり無理のある結論です。

したがって、捕鯨もその他の肉食も人間の生命活動を保つ行動として認められるというのが賛成派の基本線にあります。とくに鯨肉は貴重なたんぱく源になります。

いかなる生物も他の動植物を食べるという原罪から逃れられません。

それならば日本人が食前に「いただきます」と発するように、様々な生物をしみじみと味わって原罪を深く認識すべきではないでしょうか。

ちなみに日本各地にはクジラやブタの供養碑(≒お墓)がいくつもあります。

家畜であるブタにも感謝して供養碑を建てるのは日本人の宗教観が表れている感じですよね。

畜産関係者は定期的に畜魂祭を開いて畜霊の冥福を祈っていますし。

かつてベネディクトという学者は「日本は恥の文化」「欧米は罪の文化」だと述べて注目を浴びたよ。
日本人が家畜にさえも供養碑を建てるのはそれだけ食べることの罪深さを自覚しているからじゃないのかな。日本人の方が罪を感じやすい。
欧米が罪の文化だったら、日本に対する原爆投下にはもっと罪の意識を感じてもいいんじゃないかな。
いまだにアメリカ人の多くは原爆投下を肯定している。ここに罪の意識がないことこそ恥だ。あれは非戦闘員に対する大虐殺なのに。
欧米人がスポーツ的なやり方で狩猟を楽しむのもどうかと思う。害獣から農作物や人間を守るため、あるいは食べるためにやるならいいけど殺すこと自体を楽しむ行為は罪ではないのか。

しかしながら、現代の日本は世界的に見てもワーストクラスで残飯・食品ロスが多いです。

食品ロスの多さは動植物の死が無駄になっていることを意味しますから、倫理的にも問題があります。

クジラを利用し尽くすべき

今も昔も日本人は家畜やクジラについてあらゆる部分を食べたり、骨をダシ汁として使います。昔の日本人は楽器の部品にまでクジラのヒゲを使っていました。

しかし、昔の米英は鯨油目的だけにとらわれて捕鯨におよんでいました。

日本人の精神からすればクジラには犠牲になってもらった以上は無駄に捨てることは「もったいない」です。

ただし、現在のフランスではフォアグラを否定的に見る人が増えているように、動物・食べ物に対する感覚は時代によって変わるところもあります。

そういえばスペインでは闘牛はなくなり、先進国ではヴィーガンが増えている。
日本人が魚介類を生で食べることも野蛮だと見なされた時代もあった。

米英は今も昔もキリスト教国家であり、19世紀のアメリカは世界最大の捕鯨国でした。

つまり、捕鯨に積極的だった時代も欧米にはキリスト教が根付いていた以上、キリスト教と現代の捕鯨反対をむすびつけるのはおかしいともいえます。

ただ、今と昔では情報量が違いすぎますし、現代の欧米人は昔の乱獲を悔いているとも考えられます。

アメリカはかつては最大の捕鯨国で大量にいたリョコウバトを乱獲であっという間に絶滅させたのに今は反捕鯨。やることが極端なんだよな。

西洋人の倫理には疑問が残る

捕鯨反対派の西洋人は自分たちの倫理観は普遍的に通用するとアピールします。

しかし、かつて西洋人はアメリカ大陸やオーストラリアの先住民を殺しまくり、多くの動植物を絶滅に追いやりました。

白人の倫理観は現代でも利己的だという一面を表しているのが、以下のニュース。

注目ニュース

豪のドッグレース界 毎年1万匹以上のグレーハウンドを殺処分

AFPBB News:2015年9月29日

年間140万頭、豪のカンガルー猟は是か非か

NATIONAL GEOGRAPHIC:2017年11月26日

豪、コアラ7百匹安楽死 一部で増加、飢餓の恐れ

琉球新報:2015年3月4日

捕鯨反対派のオーストラリア人にとってクジラやイルカを食べることはダメで、カンガルーや犬の殺処分はいいらしい。
コアラの安楽死については生態系のバランスをとったとも理解できる。この理論でいうと、クジラの中でも増えすぎた種類は間引いても問題ない。

ノルウェーやアイスランドによる捕鯨はあまり批判されないのはおかしい

ノルウェーやアイスランドも捕鯨国ですが、日本ほど批判されていません。

それは欧米諸国にとっては政治的に日本の方が批判しやすいからでしょう。

近年では韓国が捕鯨に積極的だけど、日本ほど批判されていない気がする。和歌山県太地町のイルカの追い込み漁の映像(イルカは血まみれ)が尾を引いているのかな。
日本は調査捕鯨として南極海で捕鯨におよんできた。自国の排他的経済水域内だけでの捕鯨ならここまで批判されなかったのかもしれない。

人間は領土や領海についてうるさい生き物ですが、大型の海洋生物は領海なんぞ関係なく長い距離を泳ぎます。

つまり、海洋生物には国境がないため、外国は口をはさみやすいのです(特定エリア内だけでの捕鯨でも、捕りすぎれば世界から消える)。

牛肉や豚肉を無駄に多く消費している民族は許されるのか

牛肉も鯨肉も本質はそんなに変わらないでしょう。どちらも一つの生命体に犠牲になってもらった末に食べるものです。

しかし、すべての人間が肉魚ばかりを食べると地球の食糧供給は追いつきません。そして人間は栄養的にも野菜や穀物も食べる必要があります。

そう考えると、肉魚は無駄に多く消費してはならないのかもしれません。

人口爆発によって穀物(家畜の餌にもなる)の需給は切迫しつつある。だから人間がタンパク質を得る際は海洋資源をバランスよく使うことが必要。
クジラも子牛も同じ一つの生命体だとすると、クジラ一頭の命の方がより大きな食料になる。だから、殺して食べるなら小型の動物を何匹も殺すよりも大型の動物の方が効率的と主張する人もいる。

捕鯨反対は個人の信仰としてはありだが他人に強制すべきではない

一部の中国人や韓国人は犬を食べますし、フランス人はウサギを食べますが、それを批判する日本人の存在はほとんど聞きません。

日本にはあらゆる国の料理店がそろっているように、日本人は割と何でも食べる民族なので他国の食文化にも過剰に干渉しないのです。

どこの先進国でも信仰の自由がありますが、これは「個人として信じる分には自由だけれども他人には強要すべきでない」というのが基本的な考え方。

この考え方からいうと、個人の信念としてウシや犬を食べないというのも自由ですが、ウシや犬を食べる民族を批判してはいけません。

それをやぶって日本の食文化に過剰に干渉される筋合いはないでしょう。

オレたち欧米人はクジラを食べる文化がないから、クジラを食べる文化の民族は野蛮だ」と決めつける方が野蛮なのです。

欧米人は一神教だけど、日本人は多神教。一神教のもとで育った人の方が他宗教圏の食文化に介入したがるのかもしれない。
そういえば16世紀のポルトガル人やスペイン人は遠路はるばる日本にまで来てキリスト教を広めようとしていたな。
日本人が動物の肉を食べる際は、と畜場法や動物愛護法などに違反しないようにする必要があります。

過激な捕鯨反対派の行動には疑問を覚える

過激な捕鯨反対派は自分たちを絶対の正義と見なします。

そして「自分たちは絶対の正義なのだから、悪である捕鯨船に暴力を働いても問題ない」と考えます。

こういう思い上がった思想は危険であるため、疑問を覚える人は多いでしょう。

大半の日本人は反捕鯨団体から荒っぽい抗議を受けたとしても平和的に対処する。しかし、捕鯨をする北欧人が荒っぽい抗議を受けたら、反捕鯨団体はタダでは済まないだろう。
日本人はおとなしいから抗議しやすいってことだね。

海洋資源のバランスを保つためにも捕鯨が必要

クジラやイルカは魚類を大量に食べます。そのためクジラやイルカを適度に捕えないと魚類が減ってしまいます。これは漁師にとっては死活問題です。

海洋資源はクジラやイルカだけでなく全体のバランスを見て捕獲すべきでしょう。

捕鯨とイルカ漁の反対・賛成理由はこれにて終わりです。

細かいことをいうと捕鯨問題を語る際は商業捕鯨と調査捕鯨の違いなども考慮しなければなりません。

でも、捕鯨反対を通じた日本叩きはそういう細かい違いにもとづくものではないと思います。

ここまでの意見すべてを理屈っぽく考えると捕鯨は賛成派に分がある。でも、反対派は感情にもとづいて反対する。だから、両者は分かり合えない。
ちょっとした宗教戦争みたいな感じだよね。

まとめ:哺乳類と魚類に対する死生観の違い

以前、日本では露店のハムスター釣りが残虐だとして非難を浴びていました。

しかしながら、露店の金魚すくいはそんなに非難されないでしょう。

そう考えると、人間は同じ哺乳類をよくも悪くも特別扱いしやすい生き物なのかもしれません。

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