社会の杜

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問題の発生を前提にするということ

イジメは根絶できるか


以前、私はtwitterにて以下のツイートを発信しました。

“いじめを根絶できるか、という問いがあるとします。私は根絶できないと考えます。人間に感情がある限り、いじめは必ず起きるからです。いじめを根絶させるために教員へ圧力をかけることは、むしろ、いじめの隠蔽を促すように思います。いじめは必ず発生するという前提に立った対策が必要でしょう。”

イジメの根絶は理想状態ではある


ここで重要なのは、「いじめは根絶できる」と人間の善心や理性に期待する方が人として麗しいということです。しかし過度に善良な圧力は、前に述べたように、いじめの隠蔽を促し、危機感を鈍らせるでしょう。

教員にとっても、いじめという厄介な問題の発生を前提とするよりも、「いじめを根絶しよう」「我が校にいじめは存在しない」「いじめではなく、ふざけていただけに見えた」と言い張る方が楽であり、査定も上がります。このような危機感の欠落した姿勢が、いじめの隠蔽や肥大化を促してしまうわけです。

空と海

イジメや失業を隠蔽すべきではない


これは社会主義国が「政府が国民や経済を理性的に統制すれば、結果の平等と失業ゼロを達成できる」と主張していたことと似ています。しかし実態としては、多くの場合、特権階級だけが潤い、さらに資本主義国よりも酷い貧困と失業が蔓延していました。

(社会主義国の政府は国民の不満を「恐怖」で抑え、諸外国に向けて虚偽の発表を繰り返してきましたが、それも限界に達するとソ連や東欧は崩壊してしまいました。現存する社会主義国が崩壊するのも時間の問題かもしれません。)

イジメや失業、そして争いの発生を前提にする


それよりも失業者やいじめの被害者の発生を前提として、彼らが早い段階で報われる対策を打ち出す方が現実的ではないでしょうか。

(いじめの被害者は、社会主義国での困窮者と同様に周囲から何らかの圧力をかけられて、いじめの被害を言い出せないのかもしれません。いじめや失業が全く存在しない社会は理想的ではありますが、それは問題が表面化していないというだけで、実際には問題が表面化できないほどの病理を抱えている社会なのかもしれません。)

企業社会でも問題の発生を前提にすべき


企業経営においても、ミスやトラブルの発生を前提として試行錯誤を繰り返し、それを役立てる方が大きな成長に結び付くのではないでしょうか。また、問題の発生を前提にする危機感と、問題をフォローする体制を整えておくことも重要でしょう。




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