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創作物に表れている規範意識

テレビゲームのプレイにおいて私が初めて原産国の異文化を強く感じたのは、ポピュラスというゲームを見たときのことです。

ポピュラスという全面戦争ゲーム


ポピュラスにおいてプレイヤーは神となります。神は特定の民を動かさず土地の造成を施します。地上を闊歩する民は、神に従う側(プレイヤー側)と、それに対立する敵側(悪魔)に分かれており、それぞれの民は神によって操られることなく勝手に家を建てていきます。神の最終目的は、神に従う側の民と悪魔側の民との全面戦争に勝利することです。

戦火民は平地面積が広いほど戦闘力の高い建造物を建てます。建造物の発展と民の増加とともに神の力は上昇します。神の力が上昇すると、神は地震や山の造成など悪魔側の発展を妨害するための災害を起こせるようになります。もちろん、悪魔側の報復を食らうことも頻繁にあります。

文明が一定水準まで発展すると、両者は闘争を勝手に展開します。負けた側の民の建造物は乗っ取られるか、使用不能になるまで燃やされます。

どちらかが全滅するまで一つのステージは続きます。このゲームはスタンダードな草原ステージから始まり、フランス革命の世界、日本風の世界、宇宙人の世界、コンピュータの世界、お菓子の世界、三匹の子豚の世界など様々な世界観でプレイできます。

徹底している欧米、徹底していない日本


このゲームをプレイしていると、神側を絶対的正義として、それに対立する悪魔を殲滅しているかのような感覚にとらわれます。それはまるで過去の十字軍遠征や植民地闘争、魔女狩りなどを再現・正当化しているかのようです。このゲームを初めてプレイした日本人は、その異様な雰囲気に面食らうはずです。

おそらく日本には敵陣を徹底的に支配し滅ぼすという思想がないため、日本人はそこに違和感を覚えるのでしょう。それは一度とった相手駒を味方として使える日本将棋にも表れています。

日本将棋の持ち駒ルールの起源は明らかではありませんが、この類のゲームで持ち駒が使えるケースは世界でも稀なはずです。戦国時代の日本でも武将の目的は敵陣大将の討ち取りや国取りにあったのであって敵陣の殲滅ではないでしょう。




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