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国家を感覚的に理解する

「国家」の辞書的な定義


国家という語をインターネットで検索すると「政治的共同体」「統治機構」「政治機構」といった言葉のうちのいずれかを使った定義が目立ちます。

以上の定義から「政府」「内閣」「官僚」「国家元首」「国防」といった言葉を連想する人も多いのではないでしょうか。それらの教科書的な定義は殆ど正解なのですが、同時に感覚的な国家像についても知っておくべきです。

こけのむすまで

国家を次世代につなげる


ここでいう感覚的な国家像の核心は、国民が国家を代々承継し次世代へと引き渡していくことにあります。国民は先人が紡いできた文化や歴史を知り、それを活かす形で次世代につなげるのです。

これは論理的・法的な義務というより感覚的・道義的な義務です。人は学校を卒業した後も母校の話題と発展を気にかけるように、自身がこの世を去ってからも母国が永劫に存続できるように想いを馳せるのです。

一般に法学や高校の社会科(政経)においては、無機質な統治機構の原理や政治の法則性、さらに条文の暗記に焦点が置かれがちです。それはそれで重要なのですが、無機質な知識はそのままでは役に立ちにくいものです。

その国家に沿った感覚(問題意識や使命感)を身につける


実際に統治機構を動かすのは国民の誰かであり、国民はそれを見守っていくことになります。したがって、無機質な統治機構の原理や政治の法則性にばかり着目するのではなく、その時代を生きた人たちの生々しい体験から生まれた言葉(政治哲学・回顧録・自伝)に学ぶ姿勢も必要でしょう。

無機質な知識を、広く社会に鑑みて妥当な形状を保ちつつ自らの感覚に合うように変換してこそ、現実の問題に対処する際に活きてくるのです。制度を改善しても、制度を運用する人間に相応の精神が備わっていなければ片落ちだというわけです。

以上は右翼ら左翼という類型に関係なく必要なことです。とくに政治哲学や政治家の回顧録・自伝を読む際には、右寄りの思想をもった人は左寄りの本を、左寄りの思想をもった人は右寄りの本を読んでみると役立つこともあるはずです。




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