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集団としての賢さの実現

1人+1人は2人超の力を生み出せる?


ときどき「一人よりも二人の方がよい、二人よりも三人の方がよい、1人+1人は2人超の力を生み出せる」と主張する人がいます。確かに「三人寄れば文殊の知恵」に類する現象は直観的に考えてみても起こりうることです。人が複数集まって議論や相談を展開すると、相乗効果が生まれるのは当たり前のように思われます。ところが、人は複数集まることで、かえって愚かな行動をしでかすこともあります。

スパークリングワイン例えば現代の日本では、酒の一気飲みを他人に強要する行為はほぼ犯罪だと認識されているはずですが、人が多数集まると場の空気に流されてそれを破ってしまうことがあるでしょう。正確な統計は見つかりませんでしたが、おそらく一気飲みの強要は2〜3人の集まりよりも、4人以上という多数者の集まりから発生する率の方が高いと考えられます。

テレビに映る学者や政治家は賢いか


ということは、賢い人間が多数集まれば愚行には至らないと考える人がいるかもしれません。

しかし、識者が複数集まるテレビ番組や国会中継においては賢さが見えないことがあります。政治家や学者は平均以上の知能をもっているはずですが、どうも賢いとは思えない言い争いが見られるのです。これは単なるテレビ用のパフォーマンスとも受け取れる部分もありますが、頭の良い彼らとしては、自らにとって都合のよい論理やデータを使いつつ相手を言い負かしたいのでしょう。とくに社会科学(この場合は経済政策や法改正など)は無欠の政策がなく、さらに自然科学とは異なって規範が絡んでくるので、どうしても人によって賛否が分かれてしまいます。私としては、そうやってバトルを展開することも必要でしょうが、与野党が協力して推し進めるべきこともあるだろうと思ってしまいます。

異質な人を混ぜる


また、人は同質性の高い人と一緒にいると、つい変な方向に盛り上がってしまうこともあります。学生時代の友人と久しぶりに会った時に、くだらないネタで盛り上がることは典型です。経済学者や憲法学者の討論を書籍化したときでも、同じ派閥の人同士が内輪で語ると内容が偏ったりするでしょう。

組織プライベートな空間では同質性の高い人同士で盛り上がることは普通のことですが、やはり討論や会議の中では、同質性の高い者同士ばかりではなく異質な人も混ぜる必要があります。異質な人を混ぜると良い意味での緊張感が出てきたり、自己中心的な意見が控えられるからです。討論の場で相手を強引に言い負かそうとする人についても、異質な傍観者を同席させると場が締まるはずです。
(異質な傍観者というのは、例えば女性ばかりの討論会場では男性が、高齢者ばかりの場では若者が該当します。)

集団としての賢さ

そう考えると、集団としての賢さは、一人一人の偏差値が高いというよりは、その組織にとって必要不可欠の能力については皆が満たしたうえで、まとめる人、アイディアを出す人、批評する人、調査・分析する人、事務作業をこなす人など多様な人材を確保し、各自が自身にとって最適な役割を担い、組織目標を達成するために協調的に活動できるか否かにあるのではないでしょうか。




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